「戦史」を読み終える。岩波文庫。
ペルシア戦争で、ギリシアの自由を守った、とされるアテーナイ。その話には続きがあった。それまでペルシアに税金を納めていた小アジアやエーゲ海の数多くの都市の支配権を奪い取り、今度は自分たちに「年賦金」を納めるように、支配体制を組み替えたのだった。そのような都市が離反を試みると、アテーナイは容赦のない弾圧を行う。
さらにアテーナイ人は、巨額の年賦金だけでは満足できず、今度はスパルタを始めとするペロポネーソス同盟との軋轢が激化する。あげくの果てにシケリア征服を目指して失敗し、致命的な打撃を被ることになる。
アテーナイは、まるで、かつての大日本帝国のようだ。シケリアで捕虜になった人々の悲惨な収容所生活の描写は、シベリア抑留を連想させる。
また、テルモピュライの戦いから100年も経たないのに、アテーナイに対抗するためにスパルタがペルシアと同盟を結ぶのには驚かされる。イメージと全然違うのにゃ。
侵略戦争と防衛戦争、さらには公と私は、果たして本当に区別可能なのか? この本に出てくるさまざまな立場の人々の弁論を読むと、それがわからなくなる。見た目が上品か下品か、程度の違いしかないようにも思えてくるにょ。