著者のグレゴリウス(538~594)は、旧約聖書の創世記から歴史記述を始めている。さらに、歴史がかなり下ってからでも、ひんぱんに旧約からの引用を行っている。出エジプト記とか、申命記とか、詩篇とか。
ワシは、旧約聖書の影響力が大きくなったのはルターの宗教改革以降だと思っていたが、間違いだったのにゃ。6世紀から、旧約は影響力を持っていた。なぜか。それはおそらく、新約聖書の中でキリストが、旧約からの引用をひんぱんに行っているからだろう。聖書の最後に、引用元の一覧表があるくらいだ。なにしろ、キリスト教徒の義務は、キリストの真似をすることなのだから。
だが、一覧表をたよりに読み比べてみると、キリストの引用の仕方はまったく恣意的なものであることがわかる。ユダヤ人に自分の教えを広めるための方便として、旧約の権威を利用しているだけなのだ。この点については、「新約聖書を読む 9」をご覧ください。
キリスト教徒には、これがわからない。彼らは、「キリストの教え」と「モーセの律法」やら「ソロモン王の知恵」やらを混同している。「女呪術師を生かしておいてはならない」(出エジプト記22、17)。これは、キリストではなくモーセが言ったことなのだが、魔女狩りの根拠になった。ルターは魔女裁判に関与し、4人を火あぶりにしたという(上山安敏「魔女とキリスト教」)。
だが、キリストは言っている。「人を裁くな。あなたがたも裁かれないようにするためである」(マタイによる福音書7、1)。今ごろルターは、地獄の炎で焼かれていることだろう。
旧約聖書を完全に排除し、キリストの言葉のみに拠る宗教は、今までなかった。本当の意味の「キリスト教」は、存在したためしがないのだ。