今年の音楽

2013-12-31 08:24:23 | 音楽

 AC/DCだった。「レット・ゼア・ビー・ロック」以外は、全部今年買ったもの。

 もう30年くらい前になるが、彼らの初来日ライヴは、NHKのFMで放送された。それを聴いて、「単調だなあ」と思ったのを覚えている。あの頃は、長時間の変化に富んだ演奏が好みだった。ジミ・ヘンのライヴとか、プログレ系とか。でも、今は違う。AC/DCの曲はどれもこれも似たようなものだが、単調ではない。変化がある。それがわかるようになった。いや・・・・・・。単に年を取って、好みが変わっただけなのかも。

 そして、J・A・シーザー。この間のコンサートにも行ったが、今回はゲストが目立った。小学生が生で歌う「桜暗黒方丈記」は強烈だった。あと、「邪宗門」にも出ていた蜂谷眞未。声楽家のような雰囲気というか、貫録。ナゾの人にゃ。
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引き続き

2013-12-29 19:21:01 | アニメ・ゲーム

「進撃の巨人」の再放送を見る。

 ・・・・・・「ターミネーター」? 「エヴァンゲリオン」?

 まあ、引用というか、応用のしかたがうまい。適材適所という感じがするから、これでいいにゃ。
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引き続き

2013-12-27 19:36:50 | アニメ・ゲーム

 「進撃の巨人」の再放送を見る。

 なんというか、科学技術の設定が、いびつなのにゃ。アレができるなら、ロケット弾を作って巨人の「ぼんのくぼ」を破壊することも、できるはずだが。
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今さらながら

2013-12-25 17:25:14 | アニメ・ゲーム

「進撃の巨人」の再放送を見る。

 巨人相手の戦法が、おかしい。せっかく機動力があるのに、どうして自分から巨人に接近するのか。徹底的に、離れて戦うべきだ。当然使う武器は、剣ではなく・・・・・・。

 まず、ボウガン。矢の先端に「返し」を施して、抜けないようにする。さらに、泥を塗っておく。そうすれば、「あとで破傷風になって死ぬ」、という効果が期待できる。この世界にトリカブトが存在するなら、それを使ってもいい。

 それから、火炎瓶。大型のやつを作って、投石機で発射してやる。

 火攻めは有効だ。巨人の住処を探り、集団で眠っているところを、放火する。これは、昔のバイキングがよく使った手だ。

 まだ2話まで見ただけだが、これからこんな戦法が出てくるのだろうか。

 そうそう、この作品は実写化されるそうだが、主人公の母親を食べる巨人の役は、樹木希林さんにお願いしてはどうか。そっくりだったにゃ。
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今年最後?

2013-12-21 19:16:58 | 自転車

 いつもの梅野木峠にゃ。寒い。冷蔵庫の中を走っているみたい。しばらく、冬眠かにゃ。

 それにしても、すごい大会ラッシュにゃ。梅野木峠の時代が来たのにゃ。
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NHKの

2013-12-19 19:52:19 | Weblog

「100分de名著」を見る。今回はドストエフスキーの「罪と罰」。

 ソーニャが殺人犯のラスコーリニコフに向かって言う、「十字路へ行って、あなたが汚した大地にキスをしなさい」。ロシアでは、大地は聖母マリアと同一視されるという。まさに、バッハオーフェンの世界にゃ。

 さらにワシが連想するのは、ギリシア神話に出てくる女神ヘカテー。彼女は真夜中に犬の群れを引き連れて疾走する、恐ろしい呪術の神であり、十字路の神でもある。

 「天に向かって祈る」のではなく、「大地にキスをする」。西欧のキリスト教では偶像崇拝とされてしまうだろう。キリスト教も、さまざまなのにゃ。
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バッハオーフェンの「母権論」 5 おわり

2013-12-18 20:18:40 | 

 特に、大地と月と太陽の象徴的な意味に関する記述が、すばらしい。何度でも読み返したくなる。ユングが好きな人は、読み比べてみるといいかも。

 ユングと違う点もある。バッハオーフェンは、海は男性だと主張している。海は母なる大地に従属する存在で、大地に湿り気をもたらし、生命を発生させるという。これに対して、ユングによれば海は女性になる。朝に太陽を産み出し、夕に飲み込む「恐ろしい母親」。
 どちらが正しいかは、わからない。ただ、バッハオーフェン説だと「ヴィーナスの誕生」の神話が説明しにくくなるのではないか。

 最後に書いておくと、バッハオーフェンは無条件に女性を賛美しているわけではない。彼の賛美は、「子供を産み育てる」女性の機能と不可分のものだ。もしも彼が、「自己実現」のために出産を二の次にする現代の風潮を見たら、「(生殖を拒否する)アマゾン的だ」、と批判することだろう。

 彼の主張は、プラトンの「イデア論」に近い。「取るに足りない個性を捨てて、初めて人は真の個性を得ることができる」。
 「産み育てる女性」、という祖型。それなしに「母権」は成立しないのにゃ。
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バッハオーフェンの「母権論」 4

2013-12-17 18:53:31 | 

 バッハオーフェンは、母権制の痕跡として、古代ローマの「袋詰めの刑」に注目している。殺人はすべて「親殺し」とされ、罪人は犬、蛇、雄鶏、猿とともに袋詰めにされて、川や海に流される。彼は、母なる大地から締め出されてしまうのだ。なぜなら彼は、「人はみな母なる大地から生まれ、母なる大地へと還る」、という自然の秩序を破壊してしまったのだから。

 「古代においては、死刑は破壊された自然の秩序を回復するための供犠だった」、というバッハオーフェンのこの主張は、阿部謹也先生によって「刑吏の社会史」の中で引用されている。

 「処刑される者の血が大地に触れてはならない」、という観念は、世界各地で見られる。フレイザーの「サイキス・タスク」に数多くの実例が収録されている。もしも血が大地に流されたら、作物は実らず、家畜は子を産まなくなる。そのように人々は考えるのだ。

 ヨーロッパで17世紀に猛威をふるった魔女狩りにしても、そうだ。魔女を火あぶりにしたあと、灰は必ず川へ流したという。キリスト教の時代になっても、母なる大地という古代からの観念は、生きていた。
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バッハオーフェンの「母権論」 3

2013-12-16 17:38:00 | 

 さまざまな神話が収録されているのも魅力だ。

 英雄べレロポンの物語。彼はリュキア(今のトルコ南部)で海賊とアマゾンを退治したが、報酬を得られなかった。そこで彼は海神ポセイドンに頼み、津波で土地を水浸しにした。リュキアの女たちが着物の裾をまくり上げ、女性器をあらわにして懇願すると、べレロポンはそれ以上の報復を断念した。

 この神話をどう考えるか。「べレロポンは、女たちのおまん攻撃を受けて、轟チンした」、あるいは、「副交感神経が刺激されて、闘争心が減退した」、というのが普通の解釈だろう。

 バッハオーフェンは、違う。「あなたも母親から生まれてきたはず。だから、これ以上母なる大地(農耕を知る人類が持つ普遍的な観念)を荒らすのはやめてください」。これが、女たちの行為の意味なのだという。

 さすがは天才。ワシにはとても真似できないにゃ。
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バッハオーフェンの「母権論」 2

2013-12-15 18:34:12 | 

 バッハオーフェンによれば、人間の歴史はだいたい次のように分けられる。

 まず、アフロディーテの時代。これは、男性がヤリたい女性と力ずくでヤリまくった時代。

 次が、アマゾンの時代。女性が男性の暴力に対して武器を取って立ち上がり、支配権を確立した時代。バッハオーフェンは、ギリシア神話に出てくるアマゾン族は実在した、と考えている。

 その次が、デメテルの時代。暴力ではなく、子供を産み育てる女性の普遍的な愛を基盤とする時代。この時代が特に重要視され、「母権論」というタイトルになっている。

 そして、ディオニュッソスの時代。男性が、暴力ではなく性的な魅力によって支配権を取り戻した時代。

 最後が、アポロンの時代。セックスや出産といった人間の肉体的な要素を超えて、純粋な精神の高みを目指す時代。

 さて、現代は何時代なのだろうか。アポロンの時代でないことだけは確かだ。経済成長が求められ、さまざまな指標が大きく報じられる。それらは抽象的な数字だが、決して「精神の高み」を表すものではない。物体が数字に置き換わっただけのものだ。

 だからバッハオーフェンの主張は、それほど大昔のもの、でもない。
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バッハオーフェンの「母権論」

2013-12-14 19:24:23 | 

を読む。三元社。

 ずっと古本屋でちくま学芸文庫の「母権制序説」を探しては空振りに終わっていたが、これがあった。序論と、本論の「リュキア」、「クレタ」を収録しているすぐれ物にゃ。
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毎日新聞「余録」への批判

2013-12-10 17:12:04 | Weblog

 「特定秘密保護法案に対して映画監督や俳優や作家が反対運動に参加しているのに、どうしてスポーツ選手は動かないのか。今こそスポーツの力が必要なのに」。だが・・・・・・。

 具体的にどうしろというのか。たとえば、Jリーグの試合で選手有志が、ユニホームに「法案反対」のスローガンを掲げてプレーする、とか? そのような政治的メッセージを掲げることは、厳重に禁止されている。「スポーツの力」を認めるからこそ、そうなっている。

 そもそも「スポーツの力」の根源は、何か。それは、「ひとつの、ルールに則った型を守る」ということに尽きる。それは、「日常生活の多彩さ、混沌」と対照的な、「統一された秩序」をわれわれに呈示する。そこに、われわれは魅きつけられる。だれも、「サッカー選手はどうして手を使わないのか」などという疑問を持たないだろう。それは、神職にある人々が、何百年も前から伝わる神聖な舞いを忠実に再現するのと同じだ。「日常に左右されない」ことが、「力」になる。

 だから、北朝鮮や中国のスポーツ選手が、ルールに則った立派な振る舞いで賞賛されることも、当然ありうる。

 スポーツの伝統にただ乗りする形で政治的メッセージをアピールすることはアンフェアだが、他方で、スポーツ選手がスタジアムを出て法案反対のデモ行進に参加したとして、果たして「スポーツの力」は感じられるだろうか。「卑俗な、色褪せた感じ」しかしないのではないか。
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トゥキュディデスの

2013-12-09 17:26:48 | 

「歴史」(岩波文庫では「戦史」)が、ちくま学芸文庫から復刊されていた。本屋さんで平積みになっていたにゃ。

 読みどころは多い。まず、ペルシア戦争の後日譚。プラタイアの戦いでギリシア軍の指揮を執った、スパルタ人のパウサニアス。ペルシア戦争といえば、テルモピュライの戦いで全滅したスパルタ軍のエピソードが有名だが、パウサニアスはよりによってペルシアと内通し・・・・・・。
 スパルタといえばスパルタ教育だが、「純粋培養」の弊害なのか、スパルタ人は敵国に簡単に買収されてしまう。また、同盟を組む他のギリシア人に対して尊大な態度をとって、顰蹙を買ったりも。パウサニアスはそのいい例だ。

 そして、アテナイの民主制の混乱ぶり。有力な指導者のアルキビアデスを、2度も追放してしまう。民主主義はしばしば画一主義に陥ってしまう、というのは正しい。一人一票の枠を超えた強烈な個性、というものが許せないのだ。

 あとは、大量殺人を正当化するための、さまざまな弁論。知性の暗黒面が、赤裸々に暴き出されているのにゃ。

 この本に神は出てこない。そこが、ヘロドトスの「歴史」とは違う。

 オバマ大統領は、どうしてシリア攻撃を断念したのか。この本を読めばわかる。「戦争の規模は、軍資金の額によって決まる」。
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「劇場版まどか☆マギカ[新編]叛逆の物語」

2013-12-05 17:52:33 | アニメ・ゲーム

を観る。

 「新編」というよりは、「外伝」だった。枝分かれした無数の世界の中のひとつ、か。これの続編もやりそうにゃ。新キャラの意味がこのままではよくわからんし。
 だが、しょせん「閉じた世界」の中のエピソード、という感じは拭えない。テレビ版の「神話的な壮大さ」に欠けるのにゃ。

 アカデミー賞に出るとしたら、これよりもテレビ版を編集した最初の劇場版の方がいいにゃ。
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記念日っ!!

2013-12-02 18:17:31 | Weblog

 けさの3時ころ、生まれて初めて「幽霊」を見たにゃう!!

 布団で寝ていたら金縛りになって、目を開けたら30センチ上方に女が浮かんでいた。床と平行に。奇妙な、どこか外国の民族衣装を着て。ひきつった顔で、今にもつかみかからんばかりに、左手を前に出している。そうそう、その顔は、もう何十年も会っていない妹そっくり。若いころのままにゃ。夢ではない証拠に、女の背後で弱く輝くオレンジの豆電球が、はっきりと見えた。

 不思議と恐怖は感じなかった。冗談じゃない、先手を取ってやろうと何とか左手を伸ばした(あるいはそのようにイメージして気合をかけた?)ら、一瞬にして彼女は消えた。それからすぐに魔除けとして、たまたまラジカセに入っていたコルトレーンのCDをかけた。こういう時、人類学の知識が役に立つにゃ。

 果たして、幽霊だったのか。「夢ではない」と書いたが、ワシには、「夢の立体投影」のようにも思えた。だから怖くなかったのかも。フロイトの「夢判断」によると、「夢は願望充足」なのだという。では、ワシの願望とは? それを知るには、消えるのが早過ぎた。せめて一言二言、しゃべらせればよかったにゃ。
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