を読む。芦原英典、小島一志共著。新潮社。
伝説的な空手家・芦原英幸の息子である英典氏が、幼年時代から18歳で父と死別するまでの、さまざまな思い出を語りおろす形式をとっている。そのため、英典氏が生まれる前の、父親本人の少年時代や極真空手時代の記述が少ない。むしろ、「芦原英典伝」みたいな感じがしてしまう。その点が「大山倍達正伝」と違い、物足りない。だが、読み進むうちに、瀬戸内弁に魅せられてしまう。荒々しく、それでいて優しい。まるで、海のように。
劇画「空手バカ一代」で有名になったが、本人はそのことを否定的に考えていたという。「ケンカ十段」は虚像だと。だが、この本には、「やっぱりケンカ十段じゃないか」と思わざるをえないエピソードが、数多く載っている。これはどういうことか。
たぶんディック・ザ・ブルーザーだったと思うが、昔のプロレスラーが、「プロレスはルールのあるケンカだ」、と言っている。この言葉を裏返すと、「プロレスと違ってルールがないのがケンカだ」、ということになる。ピストルが使われることもあるのがケンカ。そんな、文字通り生死を賭けた戦いを勝ち抜いた芦原英幸にとって、ケンカは普通の武道と違い、段位などつけようがないものだったのではないか。もしかしたら、十段でも不足だったかもしれない。
病に冒された芦原が最後に熱望したのは、自分が開発したAバトン(トンファーを現代的にアレンジしたもの)を、日本の警察や自衛隊に採用させることだったという。アメリカの警察から採用したいというオファーがあった時も、「まず日本の文化にしてから」、という理由で断ったという。
惜しいことをした、と思う。まずアメリカで普及させるべきではなかったか。そうすれば、外圧に弱い日本のお役所を動かすこともできたかもしれない。そうしなかった芦原英幸は、ロマンチストだった。