を読む。阿部謹也著。講談社学術文庫。
北欧のサガに出てくる、数多くの怪談。かつて、生者と死者の境界は限りなくあいまいで、現世に恨みを残す死者は墓から出てきて、さまざまな悪さを生者にしかけた、という。
それに対して、生者がとった策。墓から死者を掘り出して燃やし、その灰を海に流した。
この方法は、もしかしたら、ペルシア文化に由来するのかもしれない。ゲルマン人はもともと黒海沿岸に住んでいた、という説がある(ストゥルルソン「ヘイムスクリングラ」)。
ヘロドトスの「歴史」によると、ペルシア人は火を神聖なものと考えていたから、火で人間の死体を焼くなど、もってのほかのことだった。この観念が、ゲルマン人に引き継がれたのかもしれない。
だが、これはあくまでも「日常原則」だ。死者によって生者が脅かされる。このような「非常時においては、非常識が求められる」(デュルケムが引用したロバートソン・スミスの理論)。そこで、神聖な火が魔除けとして用いられた、のではないか。
エリアーデの「世界宗教史6」によると、1022年にフランスのロベール王が、ボゴミール派の人々を火あぶりにした。これが、キリスト教の異端者が火あぶりになった最初の例だという。この記述が正しいとしたら、ローマ帝国がキリスト教を国教としてから最初の火あぶりまで、600年以上のタイムラグがあることになる。
これは、何を意味するのか。この600年という歳月をかけて、キリスト教は徐々にゲルマン化していったのではないか。ゲルマン人の「魔除けとしての火」という観念によって支配されるようになり、17世紀の魔女狩りでそれはクライマックスを迎える。
「初期のキリスト教とヨーロッパで発展したキリスト教は、まったく違う宗教である」。「宗教者や哲学者は、生活についての考え方を変えたが、生活そのものを変えたことはいまだかつてない」(シュペングラー「西洋の没落」)。