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冬眠中につき読書中16

2009-02-25 17:51:46 | 

 引き続き「心理学と錬金術」を読む。いわゆる「自己」が、「個我」と表現されているのが気になる。どうしても「古河」を連想してしまって、読んでいてテンションが下がるのにゃ。

 患者の無意識を意識化する過程において現れる夢や幻覚を、さまざまな神話や物語、錬金術の象徴で説明しようとするユング。だが、それらはどんなに奇妙に見えても、意図的に作られたものであり、「意識の世界」の産物であることは間違いない。どんなにユングが弁明を重ねても、それらを用いて「無意識の世界」を説明しようと試みること自体、すでに恣意的といわざるをえないのではないか。また、錬金術の難解な表現による説明を聞いた患者は、果たして安心感を得られたのだろうか。

 だが、正直に言うと、私が魅力を感じるのは「個人的無意識」でも「集合的無意識」でもなく、そのような「ユング自身の恣意」の方なのだ。これもまた、一種の「背理」というやつだろうか。ユングの試みは、冥界(無意識の暗黒)に降ったオルフェウスに匹敵する神話として、語り伝えられていくだろう。

 この本を読んでいくつかわかったことがある。「エヴァンゲリオン」の「人類補完計画」は、いわば「失敗した錬金術」だったんだな。ユングによると、意識と無意識を統合して、より高次の「全き人間」に至るのが、錬金術ならびに心理学の真のテーマなのだという。彼はそれを「個体化」と呼んでいる。そこではもちろん個人の意識の価値が否定されることはないのだが、「人類補完計画」ではすべての個人が自分の意識を喪失して、人類共通の無意識の海へと還る結果になってしまう。「個体化」とはまさに正反対だ。
 また、「ローゼンメイデン」でお馴染みの、「ローザ・ミスティカ(神秘の薔薇)」も少しだけ出てくる。聖母マリアの形容語のひとつだという。

 この本に影響されたのか、最近幻覚を見るようになった。・・・・・片桐背理。背理ヒットラー。背理スク背理ターン。背理背理ルレ背理ホー。アルプスの少女背理。背理ーン・キャラ。
 
 凡人は、安易に「背理」を援用すべきではない。それが許されるのは、論理を極めた人間だけだろう。

 
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冬眠中につき読書中15

2009-02-22 10:32:58 | 

 「心理学と錬金術Ⅰ」を読む。カール・グスタフ・ユング著。人文書院。 
 
 まず、まえがきに驚かされる。協力者に対する謝辞が述べられているのだが、M・L・フォン・フランツ嬢、R・シェルフ嬢、L・フライ夫人、O・フレェーベ・カプテイン夫人、J・ヤコービ夫人、L・フルヴィツ・アイスナー夫人、と、オンナだらけなのにゃ。ハーレム状態で執筆したのは間違いない。一方、本文は・・・。

 「わけても背理は、極めて貴重な精神的財産の一つである。これに反して一義性は、弱さのしるしである。従ってもし宗教が、その背理性を失ったり弱めたりするようなことがあれば、それは内面的に貧困化し、背理性が強められる場合にはそれは豊かになる。というのも充溢せる生をおおよそなりとも捉えうるのはひとり背理のみであって、一義的な明白さとか矛盾の無さとかいうものは物事の一面にしか通用せず、従って把握し難いものを表現するには不向きだからである」。

 にゃあ。先が思いやられるのにゃ。(つづく)
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冬眠中につき読書中14

2009-02-18 17:59:59 | 

 「ゲルマーニア」を読む。タキトゥス著。岩波文庫。

 やあ。久しぶりだね、友よ。

 昔、西洋法制史の教科書で読んだ文章に再会したにょ。原典は「ゲルマー二ア」だったのか。

 「すでに敗色があらわれ動揺に陥った戦列が、女たちの激しく嘆願し、胸をうち露わして自分たちの捕虜となる運命のまのあたりに差し迫っていることを示したために、ついに立て直されたものがいくつかあったことが伝えられている」。

 ・・・・・やっぱり、「おっぱい」だよね。「エロ・パワー」だよね。セックスが強い方が、戦争も強いんだよ。

 こういうとき威力を発揮するのは、「お○○こ」ではなく「おっぱい」だということは、現代人にもわかる。遠目にもわかるのは「おっぱい」の方だから。男を奮い勃たせるには、この場合、立体性が重要だよね。

 古典は侮れないのにゃ。「おっぱいの社会的意義」を、教えてくれるにょ。男のやる気を引き出すには、「おっぱい」にゃ。こんな時代だから、会社の受付嬢はトップレスにしろにゃ。
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冬眠中につき読書中13

2009-02-15 17:01:45 | 
 
 「中世の宇宙」を読む。阿部謹也著。ちくま学芸文庫。

 この間の「ハーメルン・・・」もそうだったが、文章が生き生きとしている。 

 「嵐も病気も当時の人びとの考え方においては、大宇宙から人間を襲うものと考えられていた。したがって嵐が近づいたときやペストなどの疫病が蔓延しつつあるときには、人びとは教会の鐘を高らかに打ち鳴らして、嵐や病気から共同体を守ろうとしたのである。・・・実際嵐のときに塔にのぼって鐘をついたため、落雷で死去した鐘つき男の数はかなりにのぼるのである」。

 私には、この鐘つき男の顔と名前がはっきりと浮かんでくる。彼の名はハンスだ。ゲルマン人のいわゆる円環的な時の流れの中に、いつまでも住まわせておこう。
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冬眠中につき読書中12

2009-02-11 18:42:20 | 

 「ハーメルンの笛吹き男」を読む。阿部謹也著。ちくま文庫。

 だれもが知っているこの伝説のもとになったのは何か、さまざまな説があるが、著者はひとつひとつ丁寧に追いかけていて、「萌えっ」ときてしまう。特に、第二次大戦に敗れて、ズデーテンからすってんてんになってドイツ本土に引き揚げた研究者が、この伝説を自分のルーツである中世ドイツ人の東方植民に結びつけて解釈するエピソードは、感動的で泣かせる。

 当時の「笛吹き男」=「遍歴楽師」の描写が生々しい。挿絵や写真も豊富で、見ているだけで楽しくなる。バルタザール・ベッカーの肖像画も拝めるにょ。
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冬眠中につき読書中11

2009-02-08 17:39:15 | 

 引き続き、「悲劇の誕生」を読む。

 「キリスト教は始めから、本質的に、また根本的に、生が生に対しておぼえる嘔吐であり倦怠であった」。あふンっっ!この間のルドルフ・オットーとは正反対で、クラクラするのにゃ。でも、似たようなことも、書いてある。「ある宗教の神話的諸前提が、正教的独断論のきびしい悟性的な目にさらされて、歴史的な出来事の総計として体系化され、人々はおずおずと神話の信ずべきことを弁護しながらも、神話が自然に生きのび生長しつづけることに対しては、ことごとに反抗しはじめるといった時、その宗教は通例生命を持たなくなる」。

 この神話に関する記述には、ブレがある。この本の後の方にはこう書いてある。「国家でさえも、神話的基礎以上に強力な不文律を知らない。神話的基礎こそ、国家が宗教と関連を持つこと、国家が神話的表象の中から成長してきたことを裏づけるものなのだ」。「強力な不文律」。それは、前に書いた「神話の自然な生長」を否定する「正教的独断論」そのものではないだろうか。彼の説によれば、それは宗教を滅ぼし、国家をも滅ぼすことになる。後年のナチス・ドイツの滅亡は、その実証ではないだろうか。
 また、さんざんギリシア神話を持ち上げておいて、「縁もゆかりもない外国の神話を移植し、この移植のために樹木(*ドイツ的本質)そのものを救いがたいまでに傷つけずに、好結果をいつまでもあげるということは、ほとんど不可能のように思われる」、などと書くのには驚かされる。まったく、支離滅裂だ。

 だが、それでも、読みどころは多い。観客が合唱団(ディオニュソス的陶酔)と一体化し、舞台の俳優(アポロ的形象)を見つめる、というギリシア悲劇の構造の分析は、ニーチェ自身の演劇理論でもあるだろう。ここで展開されている劇と音楽の関係論は、後世の寺山修司の演劇に影響を与えているように思えてならない。寺山(言葉)=アポロで、J・A・シーザー(音楽)=ディオニュソスではないだろうか。また、演劇の批評家に対する批評も、そのまま現代に通用しそうだ。

 ニーチェは演劇論だけでなく、文明論も展開している。彼によると、ギリシア悲劇を非合理的なものとして破壊したのはソクラテスだという。ソクラテス的文化、簡単にいうと、みんなで勉強して賢くなって科学を発展させれば幸せになれるという楽天主義が、近代世界を支配しているが、このような考え方は遅かれ早かれ行きづまり、破滅する。世界の本質は永遠の苦悩であり、それを受け入れるためには、悲劇による形而上学的慰めが必要なのだ、という。「蟹工船」など及びもつかないスケールの大きさだ。

 巻末の解説は、本書はニーチェのフィクションであり、一種の詩作だとするが、私はそうとも言い切れないような気がする。たとえば、悲劇を堕落させたというエウリピデスは、本当にソクラテスから影響を受けたのか、という点についていうと、「ソクラテス」を、「ソクラテス的なもの」、「当時台頭しつつあった新しい精神」、と読み替えて考えることは可能だと思う。

 前書き(1886年)と本文(1870年)の差が大きい。生の苦しみを慰めるために悲劇が必要だという、本文のいわゆるアポロ的なバランス感覚が、前書きからは消えている。ニーチェは叫ぶ。「若い友人たちよ、君たちがあくまでもペシミストにとどまる気なら、笑うことを学ぶべきなのだ。おそらく君たちはその結果、笑う者として、いつかはすべての形而上学的慰めなんか悪魔にくれてやることになろうー形而上学なんかまっ先にだ!」
 ・・・・・逆に、それだからこそ、ニーチェ嫌いの人でもまだこの本は許容範囲内、という見方もできるかもしれない。

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冬眠中につき読書中10

2009-02-04 17:53:16 | 

 「悲劇の誕生」を読む。フリードリッヒ・ニーチェ著。岩波文庫。

 ニーチェの処女作だという。・・・前から不思議に思ってたんだけど、どうして「童貞作」といわないんだろう?考えてみると、映画や音楽のタイトルにも「処女」のつくのは多いけど、「童貞」はないような気がする。ためしに、「処女」と「童貞」を入れ替えてみよう。

 「童貞航海」。「童貞の泉」。「制服の童貞」。「死と童貞」。「鋼鉄童貞」。「駆けてきた童貞」。

 どうでいっ(童貞)!?・・・・・やっぱ、いまいちか。(つづく)
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冬眠中につき読書中9

2009-02-01 17:38:50 | 

 またまたジョナサンで読書中。

 写真は期間限定のビーフシチュー。トマトがまるごと1個入っているのにゃ。それをつぶしてかきまぜて食べるんだけど・・・・・。う、うまい!今まで食べた中で1番うまいビーフシチューにゃん。トマトの果汁がなんともさわやかな酸味を醸し出すのにゃ。トマト嫌いのお子さまにはわからない味にゃ。いつまで食べられるかわからないので、早めに試してみろにゃ。
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