クラブチッタで

2013-08-28 20:49:59 | 音楽

SPEED-iDを観る。

 理科にゃんこが、今までのコーラスからもうひとりのボーカルへと昇格。歌の他にも広いステージ全体を使って、立体的なパフォーマンスを披露。ひとり万有引力状態にゃ。久々にバンドを観たけど、元気でよかったにゃ。

 写真は記事とは無関係。た、たまたまチネチッタを通っただけにゃ。
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「はだしのゲン」

2013-08-23 20:12:03 | 

を子供に読ませるべきかどうかが問題になっている。

 「読ませるな」と主張する人たちは、自分では気づいていないかもしれないが、実は「戦後の価値観」にどっぷりと浸かっているのだ。「絶対に戦争をしてはいけない。ましてや侵略などもってのほかだ」。だから、時間は遡るが、旧日本軍の兵士の残虐行為などもあってはならないし、それが表現されることも許されない。このような考え方をする人たちは、「ヒロシマ・ナガサキに惨禍をもたらした核兵器は、廃絶すべきだ」と主張する人たちと、実はまったく同じ論理の上に立っているのだ。
 
 だが、「残虐」とは何か。「はだしのゲン」の描写がひどいというが、何を基準にしてそう言うのか。歴史上のさまざまな虐殺に関する知識が、あまりにも乏しいのではないか。

 メソポタミア神話のイシュタル女神は、愛の女神であると同時に戦いの女神でもあった。旧約聖書のエホバの神は、ユダヤ人を保護する神であると同時に、自然災害を司る神であり、疫病を送る神でもあった。このような矛盾を含んだ神の姿は、何を意味しているのか。
 それは実は、人間そのものの姿を反映したものではないだろうか。救世主が殺人鬼にもなり、聖女が時には娼婦にもなる。そのような矛盾を含んだ人間の「全体性」を、これらの神話は物語っているのではないか。
 「戦争をしてはいけない」という理念は、長い人間の歴史の中でかなり特殊なものだし、実際に日本人がどの程度これを守るつもりでいるのか、はなはだ疑問だ。憲法9条がどうのこうのという議論よりも、戦後ほどなくして自衛隊が誕生し今に至っているという「事実」の方に注目すべきだ。  
 「時には戦争も辞さない」。それが人間本来の姿だろう。ひとつの理念だけで、生きられるものではない。「全体性」を、取り戻すべきだ。

 たとえば、ヨブ記やヨシュア記を含んでいるからという理由で、「旧約聖書を子供に読ませない」という決定がなされたら、どうだろう。世界的に、文化の程度が疑われる結果になるのではないか。

 

 

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「ギリシア哲学者列伝」3 おわり

2013-08-20 18:48:48 | 

 哲学者たちのさまざまなエピソードが、楽しい。公衆の面前でストリップを敢行したクレアンテス。女性を一目見ただけで処女かどうか言い当てたデモクリトス。

 だが一番おもしろいのは、ストア派のゼノンの師匠が、キュニコス派(犬儒派)のクラテスだった、という事実だ。クラテスについては前にも書いたが、「人間にとって自然な行為は、何ら恥ずべきことではない」という信念の下、人前で妻とセックスを行った人物だ。

 彼からの影響が、ゼノンの著書から窺える。「国家」の中でゼノンは、公教育も貨幣も不要、結婚制度も不要で女性は共有にすべき、と書いている。さらにゼノンには「愛の技術」という作品があるが、かなり具体的な「ハウトゥーセックス本」だったらしい。

 ストア派の「克己」は、「勃起」を否定するものではなかったのにゃ。
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ギリシア哲学者列伝2

2013-08-17 17:00:31 | 

 スティルポン「人間が存在すると言っている者は、それによってどの特定の人をも指しているのではない」。唯名論の元祖?

 プラトン「存在するもののうち、あるものはそれ自体だけで独立にあるもの(絶対的なもの)であり、あるものは何かとの関係であるもの(相対的なもの)である」。プラトンは人間を前者だとするが、いや、後者だとするのがキルケゴールだ。

 ゼノン「人間にとっては理性に従うことが自然であり、それこそが徳である」。スピノザの汎神論の先取り?

 エピクロス「動物たちのうちで、互いに害することも害されることもないようにするための契約を結ぶ能力のなかったものどもにとっては、正しいことも不正なことも何ひとつなかったのである」。社会契約論のオリジナル?

 さすがはギリシア哲学。今につながっているのにゃ。さらに・・・・・・。

 プラトン「感覚されるものには、本来つねに『なる』ということだけがあって、『ある』ということは決してないのであるが、思惟されるものは、何ひとつこれから失われることもなければ、また何ひとつこれに付け加わることもないものなのである」。シュペングラーの「なるものとなったもの(あるもの)」は、ここから来ているのか。感覚と思惟のどちらを重視するかでプラトンとは違うが。彼は、古代のギリシア文化と現代の西洋文化はまったく違う、と主張している(「西洋の没落」)のだが、そのくせ自分では・・・・・・。
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「ギリシア哲学者列伝」

2013-08-14 17:20:33 | 

を再読。ディオゲネス・ラエルティオス著。岩波文庫。思わぬ散財で、新しい本を買えないのにゃ。

 「万物の始源は水である」、「汝自身を知れ」、で知られるタレス。そして、ストア派の創始者ゼノン。彼らはフェニキア人だったという。また、ピュタゴラスやデモクリトスは、エジプトやバビロニアの神官、ペルシアのマゴス僧のもとで学んだ、という。懐疑論のピュロンに至っては、アレクサンドロス大王に従ってインドにまで行き、バラモン僧から学んでいる。なるほど。判断を保留する懐疑論は、「1年後もそこにあるかどうかわからないものは、実在とはいえない」というインド哲学から来ているのか。

 このように、ギリシア哲学はギリシア人が単独で作ったものではなく、世界各地の文化の複合体であることがよくわかる。決して「純粋な」ものではなかったのにゃ。

 
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立川オクトーバーフェスト

2013-08-10 19:21:27 | 

に行く。立川駅で降りて、昭和記念公園までちょっと歩く。

 だいぶ前に、日比谷公園で開かれたオクトーバーフェストに行ったけど、かなり進化した感じ。ほとんど待たずにビールと料理が買えたにゃ。前は1時間待ちだったのにゃ。ブースの数が大幅に増えたし、生バンドの演奏や、ドイツの世界遺産の写真展もあるにゃ。ただ、女っ気がない。巨乳のドイツ人女性がビールを注いでくれないと、情趣が出ないにゃ。

 ワシが買ったのは、ゾラホフビールとミュンヘナーソーセージ。これで1300円にゃ。味よりも値段が気になるのにゃ。

 イベントは、11日まで。
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パソコン2

2013-08-09 19:51:13 | Weblog

 かわりにソニーのオーナーメイドのパソコンを買ったにゃ。15.5型で6万6千円。もちろんウインドウズ8。Core i3で、ブルーレイが再生できる。でも、キーボードの作りが安っぽい。カーソルも不安定で使いにくいにゃ。あと、今まで使えたダウンロードNinjaが使えなくなった。録音できないのにゃ。

 もしかしたらこれが、ワシの最後のパソコンになるかも。パソコンという製品そのものが、いつなくなるかわからないからにゃ。
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パソコン

2013-08-08 19:05:29 | Weblog

 7年間使ったパソコンが、落雷でイッてしまったのにゃ。20万以上したのに、一瞬でパー。データの復旧に11万かかるそうにゃ。どうしよう。
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