ブラック・サバスの

2010-04-28 18:48:43 | 音楽

「悪魔の掟(デラックス・エディション)」を聴く。

 ワシの目当ては、ボーナスとして収録されたディスク2のハマースミス・オデオンでのライヴ。・・・・・むう。「ライヴ・イーヴル」とほとんど変わらない内容。いや、「ヘヴン&ヘル」でのトニー・アイオミの壮絶なギター・ソロがある分だけ、「イーヴル」の方が上か。

 まあ、久しぶりに聴いた「悪魔の掟」の本編がけっこうよかったから、いいか。

  
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「ギルガメシュ叙事詩」

2010-04-24 19:04:07 | 

を読む。矢島文夫訳。ちくま学芸文庫。

 神によって粘土から創られたエンキドゥが、娼婦と1週間ぶっ続けでセックスすることによって真の人間になる、というエピソードがおもしろい。これと同じことを、ショーペンハウアーが「意志と表象としての世界」の中で書いている。「人間はセックスによって単なる個体から脱却し、種族の一員、すなわち、永遠の生命の流れの一部になる」。もっともショーペンハウアーは、さらにそこから解脱せよ、と説くのだが。
 楔形文字の解読が始まるのは、ショーペンハウアーの死後だ。当然彼は、「ギルガメシュ叙事詩」を知らないはず。人間が考えることは、数千年の時を経ても変わらないらしい。

 いや、待てよ。わからないことがある。ワシも若い頃は、「ヤリツィン大統領」などと呼ばれたものだが、記憶をたどると例外なく女性はアノ時に「逝く、逝く」と叫んでいた。ということは、「セックスによって永遠の生命の流れの一部になる」、というのは女性には当てはまらないのだろうか? さらなる研究が必要だ。
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「森永理科のアウトローラジオ」

2010-04-21 19:15:52 | アニメ・ゲーム

を超A&Gで聴く。

 30歳の誕生日を前に、理科にゃんが結婚・・・という設定で集めたお祝いコメントが豪華だ。リアルな結婚式でもここまで集まるかどうか。

 引っかかった(?)のは、能登麻美子(音声のみ)、小野大輔(音声のみ)、明坂聡美(動画)、小林ゆう(動画)、たかはし智秋(祝電)、鈴木達央(動画)、アイムの影山マネ(動画)、喜多村英梨(動画)、豊崎愛生(動画)の各氏。

 中でも小野Dのコメントが秀逸だ。よく練られているし、異様に熱い。単なる祝辞ではなく、作品の域に達している。聴き逃したファンは、来週のリピート放送を待つのにゃ。
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「ゴシックとは何か」

2010-04-20 20:03:39 | 

を読む。酒井健著。ちくま学芸文庫。

 ゴシック建築特有の、天を目指すかのように高くそびえる尖塔。それは、中世の人々の無限志向の表現であるという。無限、すなわち神との交流を彼らは求めた。そのために、ゴシック建築の多くは未完成のまま放置された。完成とは明確な限定を設けることであり、無限と対立するものだから。

 1980年のモンスターズ・オブ・ロックにおける、レインボーの「スターゲイザー」を思い出す。この曲でリッチー・ブラックモアは、ギター・フレーズを徐々に徐々に上昇させ、頂点に上りつめたかと思ったその瞬間に音を途切れさせた後、(未完成のままに)一気に下降に移っている。これこそは、ゴシックの無限志向を現代において復活させたものではなかったか。

 他にも興味深い記述が多い。「プロテスタンティズムが資本主義を発達させたのではない。現実の厳しい経済競争を正当化するのにつごうがいいから、当時の人々がプロテスタンティズムを選択したのだ」、とか。好著にゃ。
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スティーライ・スパンの

2010-04-17 19:09:15 | 音楽

「テン・マン・モップ」を買う。

 数年前に手放したのを、中古盤屋でまた買ったのにゃ。どうせほとんど聴かないから、と思って手放すと、音楽に復讐されることがたまにある。失われたフレーズが頭の中で鳴り響くのにゃ。このCDでいうと、1曲目の「GOWER WASSAIL」がそれだ。イギリス民謡をアレンジしたもので、哀調を帯びた、だが、力強いコーラス・ワークが見事だ。

 マディ・ウォーターズの「アット・ニューポート」を手放した時も、「I'VE GOT MY MOJO WORKING」が頭の中で繰り返されて、困ったものだった。
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「意志と表象としての世界」

2010-04-14 19:09:38 | 

を読む。アルトゥール・ショーペンハウアー著。中公クラシックス。ニーチェやユングがこの本からの引用をしばしば行っているので、挑戦してみたにょ。

 この場合の「意志」とは、「世界の本質」のこと。いや、「神」、といってもいいかもしれない。この世界は、ただひとつの「意志」が生み出した現象に過ぎない。人間もその一部であり、その一生は、「意志」によって支配されている。すなわち、欠乏、その充足、新たな欠乏、その充足・・・という繰り返しだ。人生は、ザルで水をすくうようなむなしい努力の連続であり、苦悩で満たされている。
 このような人生から解脱するには、あらゆる意欲を捨てて、ひたすらこのような世界の真の姿を認識するしかない。「意志」を、表象の中に封じ込めてしまうのだ。その結果としてたとえば餓死してしまっても、仕方ない。

 ショーペンハウアーは、解脱の実例として、インドの祭礼で巨大な山車の車輪の下に身を投げて死んだ人たちを挙げているが、そこまで行くと逆に強大な「意志」を感じてしまう。解脱するのも、「意志」の導きではないだろうか? どこまで行っても、「意志」。認識が「意志」を克服することなど、ありえないのではないか。

 結論部分には疑問を感じるが、この本は、おもしろい。さまざまなテーマを論じている。笑いについて。泣くことについて。特に、芸術論がいい。ショーペンハウアーによると、芸術は直観がすべてだという。直接に美をとらえなければ、芸術作品をものにすることはできない。概念(理論)は、直観を補助するに過ぎない。「美学の研究によって芸術家になったものはいまだ一人もいない」。「概念は直観的なものの微細な変化形態をとらえるにはつねに至らない」。「歌い手や優れた楽師が反省に導かれて演奏しようとするといつでも死んだ演奏になる」。「つねに芸術にとって概念は不毛である」。

 ショーペンハウアーは、芸術の中でも特に音楽を高く評価している。音楽は、「意志」が直接現れたものなのだという。

 芸術に限らず、どんな場合でも概念を通して考え、行動する人がいる。だが、概念というものは現実の微妙なニュアンスとずれているから、そのような人は結局何の役にも立たない。物事を抽象的には知っているが、具体的には知らないのだ。「抽象というのは細かな諸規定を取り除いて考えることにおいて成り立つ。ところが実際問題ではこの細かな諸規定こそきわめて大切なものである」。・・・・・社会学が専門で、いろんなところで的外れなコメントを繰り返す某氏に聞かせたい言葉だ。

 道徳も芸術と同じで、直観的に自分でとらえるしかないものだという。「欲するということは教えようがない」(セネカ)。

 その他、忘れがたい言葉が、いくつもある。「正義という言葉に積極的な意味はない。不正でないものはすべて正義である」。「自由は現象の彼岸にあり、いわんや人間的な制度の彼岸にある」。詳しい意味はぜひ本を読んで、確かめてほしい。

 「プロテスタント的だが、実はユダヤ的」、という言葉も忘れがたい。ショーペンハウアーは詳しくは論じていないが、つまり、どちらも現世利益の追求(「意志」の実現)を積極的に肯定している、ということか。この両者の親和性については、「魔女とキリスト教」(上山安敏)でも触れられている。アメリカとイスラエルの同盟関係の起源は、やはり・・・・・。

 解脱という考え方は、キリスト教の本来の教えの中に含まれている。だが、キリスト教は「平板なもの」になりつつある、とショーペンハウアーは嘆いている。「平板な」、という表現。ルドルフ・オットーの「聖なるもの」の先駆けか。

 「死は生の中に含まれている」、とも書いている。これは、寺山修司が引用したロルカの言葉だとワシは思っていたが、オリジナルはショーペンハウアーなのだろうか? それとも・・・・・。

 この中公クラシックス版は、序文を一番最後に持ってきているが、賢明なやり方だ。「この本を理解するには、カント、プラトン、インド哲学を学んでいる必要がある」、などと著者は序文の中で読者を脅しているが、それを真に受けることはない。なにしろ読み出すと、やめられなくなる。話題が豊富だし、読者に直接語りかけるような文体なのだ。
 
 訳も、こなれている。決してすらすらと読めるような本ではないが、訳がネックになっているという感じはしない。だれの訳だろうと思ったら、西尾幹二先生だったのにゃ。さすがにゃ。

 ここまでほめたたえると、「この人は、ショーペンハウアーの『読書について』を読んでいないな。『読書をすることは、自分の代わりに他人にものを考えてもらうことだ』、と書いてあるぞ」、と、あなたは思うかもしれない。ワシは、ショーペンハウアーのその言葉を克服したい。だからこそ、この本を座右の書としよう。

 ニーチェが最近ビジネスマンの間でブームだというが、ショーペンハウアーがブームになることはないだろう。なにしろ「意志の廃絶=解脱」を説いているのだから。ただただ数字を追いかけるだけの企業文化とは、決して相容れないものなのにゃ。

 ・・・・・いや。待てよ。「草食系」という言葉が流行り、若者が高価な買い物をしなくなった現代においてこそ、「解脱」は注目すべきキーワードなのかもしれない。この本も、また。
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風張峠100330その16

2010-04-11 18:48:33 | 自転車

 奥多摩湖が見えてきたにゃ。

 今回は、ここまで。うむ、確かに1年でいろんな峠にチャレンジして、チ・・、いや、進歩しているぞ。マン足にゃ。
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風張峠100330その15

2010-04-11 18:44:16 | 自転車

 東京で一番高い道路。でも、地味な標識なのにゃ。気をつけていないと、素通りしてしまうのにゃ。
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風張峠100330その14

2010-04-11 18:41:11 | 自転車

 はるか東の、新宿方面を望む。
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風張峠100330その13

2010-04-11 18:39:30 | 自転車

 ガスがないと、こうにゃ。
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風張峠100330その12

2010-04-11 18:39:04 | 自転車

 これは去年6月、風張峠のてっぺん付近の浅間尾根駐車場で撮った写真。
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風張峠100330その11

2010-04-10 18:17:11 | 自転車

 都民の森の売店で一服。1年前に来た時には、なんてハードな上りだ、と思ったけど、白石峠と比べたらそれほどでもない。むしろ、周遊道路に入るまでがきつい。やっぱり、慣れというのは大きい。

 ところで、奥多摩の地図が売られていたんだけど、それによると「風張峠」は「かざっぱりとうげ」と読むらしい。知らなかったにょ。
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風張峠100330その10

2010-04-10 18:00:12 | 自転車

 奥多摩はまだ雪景色にゃ。
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風張峠100330その9

2010-04-10 17:58:17 | 自転車

 奥多摩周遊道路に戻る。ひたすら青い空。
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風張峠100330その8

2010-04-09 18:49:46 | 自転車

 下流にも倒木。でも、水はきれいなのにゃ。
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