ハンナ・アーレント。どうしてナチスはユダヤ人の大量虐殺を行ったのか。
彼女は触れていないが、あれは、旧約聖書のパロディだったのではないか。
旧約聖書は、実に刺激的な内容を含んでいる。モーセによる、カナン人に対するヘイトスピーチ(申命記)。これはおそらく、現存する世界最古のヘイトスピーチではないだろうか。さらに、ヨシュアによるカナン人の大量虐殺(ヨシュア記)。
これは、おそらく世界初の民族浄化だった。ユダヤ人は、カナン人を女子供も含めて皆殺しにしようとした。この点は、古代史の中でも突出した残虐ぶりだ。たとえばギリシア人は、敵の成人男性を皆殺しにしたが、女子供の命は助けて、奴隷として売り飛ばした。ユダヤ人が皆殺しにこだわったのは、彼らにとって戦争は、神の命令に応えるための「人身供犠」だったからだろう。
(もっともユダヤ人は、カナン人を完全に皆殺しにはできなかった。それで、神の怒りを買うことになる。)
さて、ルターは、ドイツで宗教改革を行った。カトリックが勝手に積み重ねてきた解釈論をリセットして、聖書の原点に戻る。プロテスタントの始まりだ。新約聖書の中で、キリストはしばしば旧約聖書からの引用を行っている。それを真似て、彼らは旧約聖書の教えも重視する。もっともキリストは、自分の教えを権威づけるための方便として旧約を利用しているだけなのだが、この点は見落とされている。
つまりドイツ人にとって、旧約聖書に出てくる古代のユダヤ人による民族浄化は、子供の頃から慣れ親しんだエピソードだった。意識的なものだったのか、それとも、無意識的なものだったのか。それはわからないが、ナチスが国民を統合する手段として民族浄化(それと表裏一体をなす民族の純潔)を利用するのは、自然なことだった。
ナチスによる大量虐殺は、3000年以上の時を経てユダヤ人に返ってきた、巨大な「ブーメラン」だったのではないか。「古い歴史がある」というのも、考えものだ。古代のゲルマン人やケルト人は、果たしてユダヤ人よりも品行方正だったのか。それは、だれにもわからないのだ。