冬眠中につき読書中8

2009-01-28 18:11:52 | 

 「ローリング・ストーン・アルバム・ガイド」を読む。1992年ランダム・ハウスより刊行の原書。某レコード店の古本コーナーで購入。 

 80年代中頃に立ち読みした「ローリング・ストーン・レコード・ガイド」(講談社)とは別物らしい。「レコード・ガイド」ではビートルズの「サージェント・ペパー」が3つ星で、「作りは大がかりだが、曲そのものの出来はそれほどでもない」という評価だったのを覚えている。だが、この「アルバム・ガイド」では5つ星の普通の評価になっていて、つまらない。また、「レコード・ガイド」での酷評のされ方が笑えたチェイス、クリエイションといったバンドが消えているのがさびしい。

 この手の本は、実際にアルバムを買うときに参考にするのではなく、ひとつの読み物として楽しむべきだろう。
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冬眠中につき読書中7

2009-01-25 05:28:25 | 

 「聖なるもの」を読む。ルドルフ・オットー著。岩波文庫。

 彼によると宗教の根源は、「人間を畏怖させ、かつ魅了する、非合理的なもの」、だという。逆に、「よく組織立てられた神話は、体系化されたスコラ神学と同様に、宗教の根本現象の平板化であって、しかもその後では宗教そのものを除去するようになる」。

 それを言葉で合理的に「示す」ことは不可能で、ただ類似の現象によって「指し示す」ことができるだけだという。そのような現象の例として、音楽が挙げられている。その中でオットーは、歌劇を批判する。「・・・・・音楽と劇とを徹底的に結びつけようと試みる歌劇でさえも、音楽の非合理的精神を殺し、かつ両者の自律性に背反することである。・・・・・音楽そのものは決して、人間の心を本来的内容とせず、かつ心の普通の表示法と併行している第二の語り方でもなく、かえって絶対他者であって、なるほど一部分は人の心と類似しているが、細かな点まで一致しているのではないからである」。
 
 だが、これこそは彼自身が批判している合理的・概念的なものの見方、というやつではないだろうか。音楽の非合理的精神が活きている歌劇の実例を、私たちは知っている。もしもオットーが時空を超えて、J・A・シーザーに出会ったら、彼はこう叫ぶに違いない。「おおっとお!!」
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冬眠中につき読書中6

2009-01-21 17:05:40 | 

 ジョナサンで読書中。写真は石狩鍋。湯気でよく写らなかったにゃ。シャケとイクラとバターのスープが美味。

 ジョナサンは季節のメニューが充実しているのにゃ。それに、本日のコーヒーもいいにゃん。
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冬眠中につき読書中5

2009-01-18 17:52:22 | 

 「宗教生活の原初形態」を読む。エミール・デュルケム著。岩波文庫。

 個人を超越した力を持つ社会こそが宗教の源泉で、神々や神話はある程度文明が発達した後になってからつけ加えられたものだ、という。

 デュルケムが考えるオーストラリア原住民の社会。彼が批判するタイラーやフレーザーが考えるオーストラリア原住民の社会。この本を読んで私が想像するオーストラリア原住民の社会。そして、100年前の実際のオーストラリア。現在のオーストラリア。世界がどんどん増殖していって、おもしろい。

 「古い神々は老い、あるいは死に、しかも他の神々は生まれていないのである」、と100年前にデュルケムは書いている。このことは現代にも当てはまるが、果たして神に出番はあるのだろうか。古い神を引用する人間、は少なくないが。
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冬眠中につき読書中4

2009-01-15 17:28:29 | 
 
 ステーキのどんが、いつの間にやらドリンク・バーを導入していた。味は、サイゼリアのよりも、ずっといい。ランチタイムはライスのおかわりも無料だし、読書にはもってこいにゃ。
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冬眠中につき読書中3

2009-01-11 16:44:52 | 

 「道徳と宗教の二源泉」を読む。アンリ・ベルクソン著。岩波文庫。

 エラン・ヴィタール(生命の飛躍)、想話機能・・・といったフレーズがおもしろい。「人は、哲学する前に生きねばならない」、「哲学者が実際に研究しているのは、現実から切り取った言葉ばかり」、「哲学は認識だが、宗教は行動だ」。挑発的なせりふの数々。
 そして、後半は「愛」という単語が執拗に繰り返されるニャンニャン本に変化するのにゃ。ウソだと思うなら読んでみろにゃ。

 きっとこの御仁は、あっちの方もすごかったに違いない。フランス語で「セックス」は何というのか、調べてみたくなったにゃ。
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冬眠中につき読書中2

2009-01-07 16:28:21 | 

 夢庵ですきやき膳を食べながら読書。他にちゃんこ鍋やカキ鍋もあって、今の季節にぴったりにゃ。いつガストに変わるかわからないので、貴重にゃ。
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冬眠中につき読書中

2009-01-03 05:28:28 | 

 「エチカ」を読む。ベネディクトゥス・デ・スピノザ著。岩波文庫。

 無味乾燥な証明(?)の数々には、うんざりさせられる。その一方でスピノザは、いくつかの前提(定義、公理)からすべての論理をスタートさせているのだが、それらについては一切説明しない。なぜそういう前提になるのか、遡って語るということがまったくない。

 「神とは、絶対に無限なる実有、言いかえればおのおのが永遠・無限の本質を表現する無限に多くの属性から成っている実体、と解する」(第一部、定義六)。この文章を書いたのは(出発点を創造したのは)、だれか。この本に出てくる「神」という単語は、すべて「スピノザ」に改められるべきではないだろうか。

 彼はまた、人間の情欲についても触れているが、なんともあっさりしていて、「これでもエッチか」、と思ったにゃ。
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あけまして

2009-01-01 07:30:57 | Weblog

おめでとうにゃ。撮れたての富士山にゃ。
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