富谷教会ホームページ・礼拝説教

富谷教会は宗教法人の教会です。教会は礼拝室と二つの茶室からなる和風の教会です。ゴルフ場に接する自然豊かな環境にあります。

教会の告別式での弔辞(故人を偲ぶことば)

2016-01-05 21:32:17 | 説教

      佐々木郁朗様を偲ぶことば(弔辞)    日本キリスト教団陸前古川教会にて

   元日の朝に届いた郁朗様の奥様、慶子(よしこ)様からの年賀状には、手書きで次のように書かれていました。

「お元気でいらっしゃいますか?郁朗は、ねむる時間が長くなり、食物ののみこむ力は少し弱くなっていますが、ゼリー状のものを口からいただいております。」そして奥様が詠んだ俳句が書かれていました。

「生かさるるページを如何に新暦(しんこよみ)」

新しい年のカレンダー見て、新年を迎えることが出来るのも神さまに生かされているからだと感謝し、与えられる日々をどのように過ごせばよいのか?神から与えられている命を、ご主人と共に十分に生ききりたいという願いが込められている句だと思います。

この短い句の中に、神様が生かしてくださる一日一日を感謝しながら、一日一生の思いで、日々ご主人に仕え、ご主人と共に生きておられる奥様の心情が吐露されています。二〇〇六年に全盲となり、寝たきりになったご主人を、自宅で六年間も介護し、民主病院にご主人が入院してからは、三年間も介護のためにご自宅から毎日病院に徒歩で通い続け、弱音を吐かず、いつも明るくご主人に接しておられた奥様の献身的な愛に、心をうたれます。慶子さんは、「私も主人にいっぱい尽くしてもらったから、その恩返しなのよ」と、淡々と言います

郁朗さんは、慶子さんの手厚い介護に、どんなに深く感謝したことでしょう。

また、関純一牧師の、度々の病床訪問をどんなにありがたく思ったことでしょう。

 正月三日の日の夕方、阿部孝子姉から、郁朗様が二日の日の未明に亡くなったという知らせがあり、一瞬耳を疑いました。まだ大丈夫だと思っていた矢先なのに。しかし、神様のなさることなのだと気持ちを切り替えると、自分で不思議に思うほど自然にこの訃報を受け入れることができました。

郁朗様や慶子様とのわたしのおつきあいは、陸前古川教会で始まりました。わたしが古川高校二年生の時です。郁朗様は私より三歳年上の先輩です。郁朗様は私が教会に来るようになったことを喜んでくれて、「宗ちゃん」といつもやさしく声をかけてくれました。古川教会には当時「聖友会」という青年たちの集まりがありましたが、聖友会のみなさんも私を温かく迎えてくださったことを思い出します。郁朗兄は、みんなに「大兄」と呼ばれて敬愛されていました。今でも郁朗様は「大兄」と呼ばれています。

 古川教会から巣立て、首都方面に散った「聖友会」のメンバーは、東京都小平市に住む高橋玲子さんのお宅を拠点とし、「憩い会」という交わりの会をつくりました。

「憩い会」は、数年毎に二、三泊の小旅行を実施しました。観光もかねていましたが、信仰を深める修養会のような、とても楽しい旅行でした。この旅行実施のリーダーを務めたのが郁朗さん・慶子さんご夫妻で、みんな大変お世話になりました。わたしも何度も参加し、寝起きを共にしながら、主にある兄弟姉妹としての交わりを深めることができました。リーダー格の郁朗さんの熱のこもった祈りを今でも思い出します。この旅行は郁朗さんが車椅子の生活をするようになっても続けられ、歩行が困難で参加できなくなるまで続きました。

郁朗さんも慶子さんも本当にすばらしいクリスチャンです。神を愛し、教会を愛し、私たちをも愛してくださいました。こんなにすばらしい信仰の先輩、兄や姉のような方との交流を与えてくださった神に感謝せずにはおられません。

郁朗様は、すべてを全能の神に委ね、神のもとに召されました。今は、不自由だったつらい闘病生活から解放され、新しい霊の体を与えられる復活を信じ、やすらかな眠りにつかれました。朽ちる体は、このご葬儀後、献体としてささげられると聞いています。郁朗さんは二十年も前に献体を決めたおられました。俳人であった郁朗さんの詠んだ句を、慶子さんは、七年前に「句集・虹」として編集発行しましたが、その中に、郁朗さんの平成九年の句として、「献体を約し四度目の花見るかな」とあります。

 郁朗様との別れは、永遠の別れではありません。神様の前で再会できる望みが与えられています。そのときは互いにイエス様に似た者とされ、神を賛美する天使のような者とされることでしょう。

 昨晩の前夜式の後、奥様のお話しがあり、最後に奥様は、「病院ではわたしたち二人はのんびり過ごしました、郁朗は神様からいただいた生命(いのち)を生ききりました」と話されました。

 私は家に帰ってから、大変な状況の中で、悩むことなくのんびり過ごせたのはなぜなのだろうかと考えました。

 使徒パウロが激しい痛さのため苦しみ、弱くなり、祈っていた時に、イエス様が現れ、「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中で発揮されるのだ」と言われたことを思い出しました。パウロは弱さの中でキリストの力が宿り、強くされることを経験しました。

 郁朗さんは病気のため弱くなりました。寝たきり動けなくなり、目も全盲になりました。食べるのもゼリー状のものを口に入れてもらわなければ食べることが出来ません。体力は衰え、言葉も発することができません。こんなにも弱くなったご主人の弱さを、奥様は共に担いました。慶子さんには、「愛の神にわたしたちは支えられて生かされている。」という神への感謝がありました。「恐れることはない。私が共に居る。」「死ぬときも天国に導いて下さるイエスさまがおられる」という信頼がありました。お二人には、不平不満はありませんでした。

  この弱くなっているお二人を支えられたのは、イエス様も共にいてくださって、その重荷を担っておられたからだと思います。お二人は、弱さの中でイエスが与えてくださる十分な恵みを受けておられていたと思います。お二人は、「神与え、神取り給う。神はほむべきかな」という神のなさることへの全き信頼と感謝に満たされていたのです。

 大兄が皆さんに言いたかった最後の言葉は、「みなさん、ありがとう。神様のもとへお先いたします。お元気で。また、天国で会いましょう。神様、イエス様を賛美します。ハレルヤ。アーメン」という言葉だったと思います。

 今後も奥様やご遺族の皆さまと主イエスが共にいて、皆さまを支え、守って下さるように祈り、追悼のことばとさせていただきます。

  2016年1月5日                   辺見宗邦

         

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「世に遣わされた神の子イエ... | トップ | 「世の罪を取り除く神の子羊... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

説教」カテゴリの最新記事