富谷教会ホームページ・礼拝説教

富谷教会は宗教法人の教会です。教会は礼拝室と二つの茶室からなる和風の教会です。ゴルフ場に接する自然豊かな環境にあります。

 「わたしたちが救われるべき名」

2015-06-14 02:51:18 | 説教

   新約聖書時代のヘロデ神殿の構造、前20~紀元70年(バイブルワールドp.94)    婦人の庭に入る門が「美しい門」です。婦人に庭の先に見えるのが、イスラエルの男子の庭に通じる「ニカルノ門」です。男子(イスラエルの民の庭)の先は祭司の庭。その奥に高い建物が神殿。神殿は聖所と至聖所からなっています。

       〒981-3302宮城県黒川郡富谷町三ノ関字坂ノ下120番地12 TEL:022-358-1380 FAX:022-358-1403

            日本キリスト教 富谷教会 週報

年間標語 『いつも喜び、絶えず祈り、どんなことにも感謝しましょう。』

聖句「どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝をこめて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。 (フィリピ4:6)

     聖霊降臨節第4主日  2015年6月14日(日)  5時~5時50分 

礼   拝   

前 奏            奏楽   辺見トモ子姉

讃美歌(21)  474( わが身の望みは)

交読詩編   118(恵み深い主に感謝せよ )   

主の祈り    93-5、A

使徒信条    93-4、A

聖 書   使徒行伝4章1~12節(共同訳[新]p.219)     

説 教 「わたしたちが救われるべき名」 辺見宗邦牧師

聖餐式     72(まごころもて、み名をほめん)

讃美歌(21)  505(歩ませてください)

献 金

感謝祈祷          

頌 栄(21)     24(たたえよ、主の民)

祝 祷

後 奏

                                                  週礼拝 6月21日(日)午後5時~5時50分

                                                聖 書  使徒行伝8章26~38節

                                                説 教  「エチオピアの高官に福音が伝えられる」  

                                                 讃美歌(21) 402 405  24

               本日の説教

   使徒言行録4章は、3章に書かれていることの続きです。まず、そのあらましをお話しいたします。

  

   ペトロとヨハネが午後三時の祈りの時に神殿に行ったとき、毎日、エルサレム神殿の「美しい門」(上の画面の⑦)の所に座って物乞いをしていた生まれつき足の不自由な男から施しを求められました。「美しい門」は、おそらく神殿東側の境内から婦人の庭に入る門のことと思われます。「美しい門」は、婦人の庭からさらに男子の庭に入る<ニカノルの門>とする説もあります。ニカノル門はコリント式の壮麗な青銅の門です。この門を寄進したユダヤ人ニカノルの名で呼ばれている門です(新約聖書時代のヘロデ神殿の図参照)

   ペトロはヨハネと一緒に彼をじっと見て、「わたしたちを見なさい」と言いました。キリストによって生かされている自分たち、そして自分たちのうちに働いている<聖霊の賜物>を見てもらいたかったのだとおもわれます。

    ペトロは、「金や銀はないが、持っているものをあげよう」と言って、「イエス・キリストの名」によって彼を癒したのです。「イエスの名」には、イエスの人格の力がこもっています。そのイエスの名の力が働いたのです。施しを求めて座っていた男は躍り上がって立ち、歩き回り、神を賛美し、二人と一緒に境内に入って行きました。イエス・キリストによる救いが、人間を自立させ、自由を与え、喜びをもって自らの人生を歩ませてくださることを、この奇跡は示しています。

   それを見た民衆は皆非常に驚き、「ソロモンの回廊」にいる彼らの方に集まってきました。。これを見たペトロは、民衆にイエスの名を信じる信仰がこの人を癒したのですと語り、イエスは預言者が予告していたメシアであることを告げ、罪を悔い改めて神に立ち帰りなっさい、と訴えました。

   そして、4章に入ります。ペトロとヨハネが民衆に話をしていると、「祭司たち、神殿守衛長、サドカイ派の人々」たちが近づいてきました。二人が死者の中から復活を宣べ伝えているので、彼らはいらだちました。とくに、天使や復活を否定しているサドカイ派の人たちは激しくいらだちました。そこで二人を捕え、すでに日暮れだったので、翌日まで牢に入れました。

    ペトロとヨハネの語った言葉を聞いて信じた人は多く、男の数だけでも五千人ほどになりました。

    翌日、最高法院(サンへドリン)が召集され、「議員、長老、律法学者たち」、それに「大祭司アンナスとカイアファとヨハネとアレクサンドロと大祭司一族」もエルサレムに集まりました。サンへドリンの開かれる場所は神殿の中のイスラエルの庭からも祭司に庭からも入ることが出来る「切石の間」です。法院に集まっていた人々は当時のユダヤ教の指導者たちであり、知識も富も力も権威もありました。この大祭司を頂点とする支配階級は、ペトロとヨハネによる集まりを厄介な騒動と見做し、秩序を乱す者として罰するために集まったのです。この時、アンナスは大祭司を引退していましたたが、依然として実権を握っていました。大祭司はアンナスの娘婿のカイアファです。ヨハネアレクサンドロはアンナスの息子たちです。他の大祭司一族も集まりました。最高法院を構成する議員は七十一名ですが、この日集まったのは、評議員の十数名です。律法学者たちの大部分はファリサイ派の人たちで、死人の復活を認める立場の人たちです。そこで尋問の内容が変わります。使徒たちは復活を語ったことによって捕えられたのに、彼らは、二人の使徒を真ん中に立たせて、「お前たちは何の権威によって、だれの名によってああいうことをしたのか」と、癒しの奇跡の<力>の源を問うものでした。その場には、自分たち以上の権威は無いと高ぶり、ペトロやヨハネのような身分の低い者たちから出ている力を危ぶみ、非難している権力者の姿があります。

   そのとき、ペトロは聖霊に満たされて言いました。「民の議員、また長老の方々、今日わたしたちが取り調べを受けているのは、病人に対する善い行いと、その人が何によっていやされたかということについてであるならば、あなたがたもイスラエルの民全体も知っていただきたい。この人が良くなって、皆さんの前に立っているのは、あなたがたが十字架につけて殺し、神が死者の中から復活させられたあのナザレの人、イエス・キリストの名によるものです。」 

   ペトロとヨハネは、犯罪者のように権力者の前に引き出されたが、堂々と答弁します。足の不自由な男を癒し、善い行いをしたのに、何故自分たちを取り調べのか、と皮肉を込めた答弁から始まります。「その人がいやされたのは、あなたがたが十字架につけて殺したイエス」であり、「神により死者の中から復活したナザレの人、イエス・キリストの名によるものです」と答えたのです。

    更に続けてペトロは、「この方(イエス)こそ、『あなたがた家を建てる者に捨てられたが、隅の親石となった石』です。ほかのだれによっても、救いは得られません。わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです」と語りました。

   あなたがた家を建てる者に捨てられたが、隅の親石となった石」とは、メシア預言として知られている詩編118篇22節からの引用です。「隅の親石」は、建物を建てるとき土台となる最も重要な石であり、また、石造りのアーチの中央頂上に置かれ、アーチ全体をしっかり固定する「くさび石」のことです。神の家を建てる者たちであるあなたがたに軽蔑され捨てられたイエスは、神によって復活させられ、神の家の<礎(いしずえ)の石>にされたのです。この方以外には、だれによっても救いは与えられません。神はわたしたちを救うために、このイエス・キリスト以外のだれも救い主として与えていません。イエス・キリストこそ、神が与えた真の救い主です、と宣言して、ペトロは弁明を終えました。ここでは、病が癒されることが救いとしてと語られています。

   このペトロの大胆な態度とその答弁を聞いて、「議員や他の者たちは」驚いてしまいました。しかも二人が無学な普通の人であることを知ったからであり、また、「イエスと一緒にいた者であるということも分かった」からです。ペトロたちが、このような答弁ができたのは、「聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、……わたしの証人となります」(1・8)と主が約束された聖霊に満たされて語ったからです。

   議員たちは、イエス・キリストの名によって足を癒された生き証人がそばに立っているのを見て、この否定しようもない事実の前に「ひと言も言い返す」ことが出来ませんでした。そこで一旦、二人を議場から去らせましたが、これ以上民衆にイエスの名が広まらないようにするために、再び二人を呼び戻し、決してイエスの名によって話してはならないと命じました。しかし、そのような言い渡しに屈することなく、ぺトロとヨハネは、神に従わないであなたがたに従うことが、神の前に正しいかどうか、考えてください。わたしたちは、見たことや聞いたことを話さないではいられないのですと、その決意を明らかにしました。その言葉は、ギリシアの哲学者ソクラテスが、知を愛し求める探究生活をやめるという条件を受け入れるなら放免しようと提案された時、「わたしが命に従うのは、むしろ神に対してであって、諸君にではないだろう」(プラトンの著『ソクラテスの弁明』)と弁明した言葉を思わせるものでした。議員たちは、二人を更に脅してから釈放しました。民衆がこの奇跡の出来事について神を賛美していたので、民衆の反応が気になり、どう処罰してよいか分からなかったので釈放したのです。

  4章22節に、「このしるしによっていやしていただいた人は、四十歳を過ぎていた」とあります。ペトロとヨハネが行った癒しの奇跡によって癒された男は、生まれたから40年以上も不自由の身であった、と釈放物語を終えます。

 「わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです。」このペトロの言葉には、「イエス・キリストの名」によって救われる、溢れるような喜びが込められています。そしてその喜びを全ての人々の救いのために伝えていきたいという思いが込められています。この言葉をもって、信仰を強制したり、他の宗教を排斥するは避けなければなりません。赦しと愛を教えられているキリスト教徒は、宗教的寛容の精神を世界に根付かせる責任を負っています。聖霊によらなければだれも「イエスは主なり」と告白することはできません。金銀はなくとも、わたしたちにも与えらえている聖霊の力の威力を実証していくことが人々の心をとらえることになるのです。

 

 

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