富谷教会ホームページ・礼拝説教

富谷教会は宗教法人の教会です。教会は礼拝室と二つの茶室からなる和風の教会です。ゴルフ場に接する自然豊かな環境にあります。

「ペトロによる、しるしと不思議な業」使徒言行録9章32~43節

2016-06-24 15:33:49 | 説教

981-3302宮城県黒川郡富谷町三ノ関字坂ノ下120番地12  TEL:022-358-1380 FAX:022-358-1403 

          日本キリスト教 富 谷 教 会

                       週    報

年間標語 『日々聖霊を豊かに受けて神の栄光を表す人になろう。』

聖句「神は、わたしたしの救い主イエス・キリストを通して、この聖霊を豊かに注いでくださいました。こうしてわたしたちは、キリストの恵みによって義とされ、希望どおり永遠の命を受け継ぐ者とされたのです。」(テトスへの手紙3:6~7)

 聖霊降臨節第7主日       2016年6月26日)   午後5時~550

礼 拝 順 序

前 奏             奏楽 辺見トモ子姉 

讃美歌(21) 405 (すべての人に)

交読詩篇   49編(諸国の民よ、これを聞け)  

主の祈り   93-5、A

使徒信条   93-4、A

聖 書   使徒言行録9章32~43節(新p.231)

説  教    「ペトロによる、しるしと不思議な業」     辺見宗邦牧師

祈 祷

讃美歌(21) 481(救いの主イエスの)

献 金

感謝祈祷              

頌 栄(21)   24(たたえよ、主の民)

祝 祷             

後 奏 

                                       次週礼拝 7月3日(日) 午後5時~5時50分

                                        聖書  使徒言行録24章10~21節

                                        説教    「復活の希望」

                                        讃美歌(21)327 545 24 交読詩編 96篇

本日の聖書 使徒言行録9章32~43節

 32ペトロは方々を巡り歩き、リダに住んでいる聖なる者たちのところへも下って行った。33そしてそこで、中風で八年前から床についていたアイネアという人に会った。34ペトロが、「アイネア、イエス・キリストがいやしてくださる。起きなさい。自分で床を整えなさい」と言うと、アイネアはすぐ起き上がった。35リダとシャロンに住む人は皆アイネアを見て、主に立ち帰った。36ヤッファにタビタ――訳して言えばドルカス、すなわち「かもしか」――と呼ばれる婦人の弟子がいた。彼女はたくさんの善い行いや施しをしていた。37ところが、そのころ病気になって死んだので、人々は遺体を清めて階上の部屋に安置した。38リダはヤッファに近かったので、弟子たちはペトロがリダにいると聞いて、二人の人を送り、「急いでわたしたちのところへ来てください」と頼んだ。39ペトロはそこをたって、その二人と一緒に出かけた。人々はペトロが到着すると、階上の部屋に案内した。やもめたちは皆そばに寄って来て、泣きながら、ドルカスが一緒にいたときに作ってくれた数々の下着や上着を見せた。40ペトロが皆を外に出し、ひざまずいて祈り、遺体に向かって、「タビタ、起きなさい」と言うと、彼女は目を開き、ペトロを見て起き上がった。41ペトロは彼女に手を貸して立たせた。そして、聖なる者たちとやもめたちを呼び、生き返ったタビタを見せた。42このことはヤッファ中に知れ渡り、多くの人が主を信じた。

             本日の説教

 今日の聖書の個所に入る前に、エルサレム以外のユダヤの地やサマリアの地でのペトロのこれまでの働きについてお話しいたします。

  ンテコステの日に聖霊が弟子たちに降り、主イエスの十二使徒の筆頭であるペトロは、この日から、エルサレム市内や、神殿でユダヤ人の民衆に福音を語り始めました。使徒たちの手によって多くのしるしと不思議な業とが民衆の間で行われ、多くの男女が主を信じ、その数がますます増えました。6章には、使徒たちを補佐する七人の人が選ばれたことが記され、その中に、ステファノとフィリポの名があります。7章では、ステファノの説教と殉教が記され、サウロ(後のパウロ)は、ステファノの死を目撃しました。その日、エルサレムの教会に対する大迫害が起こりました。

十二使徒以外の者は、ユダヤ、サマリアの地方に散って行きながら、福音を告げ知らせました。七人の補助者の一人に選ばれたフィリポはサマリアの町に下って行き、人々にイエス・キリストの名についての福音を宣べ伝えました。人々は信じ、洗礼を受けました。エルサレムにいたペトロとヨハネは、サマリアの人々が神の言葉を受け入れたと聞き、サマリアに行き人々が聖霊を受けられるように祈りました。人々は洗礼を受けていただけで、聖霊はだれも受けていなかったからです。二人はサマリアの多くの村で福音を告げ知らせて、エルサエムに帰りました。

  その後、フィリポはエチオピアに帰るためガザの方に向かって旅していた高官(宦官(かんがん)・去勢された宮廷に男性)に福音を伝え、洗礼を授けてから、アゾトに姿を現し、すべての町を巡りながら福音を告げ知らせ、カイサリアまで行きました。

  9章には、シリアのダマスコにいるキリストを信じる信徒たちを迫害するために向かったサウロ(ギリシャ名はパウロ)が、ダマスコに近づいたとき、天から語りかける主イエスの声を聞き、回心してイエス・キリストを信じ、ダマスコで福音を伝えました。かなりの日数がたてから、サウロを殺そうとするユダヤ人の手から逃れて、サウロはエルサレムに着き、使徒たちに宣教の報告をしました。エルサレムでも、ギリシャ語を話すユダヤ人たちがサウロを殺そうとねらっていたので、兄弟たちはサウロを連れてカイサリアに下り、そこからサウロの出生地のタルソス(トルコ中南部の都市タルスス。アダナから西へ約40km離れた 地中海沿岸に位置する)へ出発させました。

  こうして、教会はユダヤ、ガリラヤ、サマリアの全地方に増え、平安を得ていました。主に対する畏れ、主の支配にもとで教会は建てられ、聖霊の励まし、慰めによって、信者の数は増えていきました。

  ここから本日の聖書の箇所に入ります。ペトロは再びフィリポの伝道した後を訪ね、信徒の信仰を一層強めるため、海岸沿いの地域を巡回することにしました。ペトロはエルサレムの北西40キロにあるリダ(旧約聖書ではロド)に行きました。すでに教会はフィリッポの宣教によって設立されており、そこには<聖なる者たち(信徒の意)>がいました。ペトロはアイネアという八年前から床についていた中風(ちゅうぶ)(脳血管障害〈脳卒中〉の後遺症による半身不随の状態を指す言葉です)の人に会いました。おそらく老人だったのではないかと思われます。体の不自由なことは本人にとってつらく苦しいことであり、周囲の者たちにも気の毒に思える状態です。病気、老い、介護の問題は、昔も今も深刻な問題です。ペトロが、「アイネア、イエス・キリストがいやしてくださる。起きなさい。自分で床を整えなさい」と言うと、アイネアはすぐ起き上がりました。かつて、ペトロはエルサレム神殿の美しの門で、「ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい」と言って、生まれながら足の不自由な人をいやしたことがありました(使徒言行録3・1~10)。そのいやしは、ペトロではなく、「イエス・キリストがいやしてくださる」のです。主イエスご自身も中風の人を癒されています(ルカ5・17~26)。

   いやされたアイネアを見て、リダとシャロン地方(カイサリアからヤッファにかけての海岸地帯)の人々は皆、主キリストを信じるようになりました。

  地中海に面したヤッファ(現在のテル・アビブのヤッファ)の町にヘブライ名はタビタ、ギリシャ名はドルカス(「牝のかもしか」の意)という婦人の信者がいました。彼女は数々のよい働きや慈善をしていた人でした。このような働きによって、ドルカスは教会にとってなくてはならない存在でした。彼女はやもめたちの世話や、自分のできる針仕事で衣服を作り与えていたのです。

  ところが、そのころ彼女は病気になって、ついに死んだのです。ヤッファの教会の人々は悲しみと落胆しました。人々は亡くなった彼女の体を洗い清め、別れを惜しみ、屋上の部屋に安置しました。かつてエリヤが、シドンのサレプタのやもめの子が死んだとき、階上の部屋に子ども寝かせて生き返らせたことがありました(列王記上17・17~24)。タビタも階上の部屋に置かれたのです。

 死は人生の最大の問題です。どうれば死別の悲しみが癒されるのでしょうか。どうしたら死を乗り越え、死に捕らわれない生き方ができるのでしょうか?

  リダはヤッファに近かったので、弟子たちはペトロがリダにいると聞いて、二人の人を送り、「急いでわたしたちのところへ来てください」と頼みました。リダとヤッファの距離は近く、18キロでした。ここもフィリポの伝道地でした。使いのしらせを受けたペトロは、リダをたって、その二人と一緒に出かけました。人々はペトロが到着すると、屋上の部屋に案内しました。すると、かつてドルカスから施しを受けていたやもめたちは皆ペトロのそばに寄って来て、泣き悲しみながら、ドルカスが一緒にいたときに作ってくれた数々の下着や上着を見せました。ペトロは泣く女たち皆を外に出し、預言者エリヤ(列王記上17・19)やエリシャ(列王記下4・33)のように独りになり、ひざまずいて祈り、遺体に向かって、「タビタ、起きなさい」と言いました。すると、彼女は目を開き、ペトロを見て起き上がりました。ペトロは彼女に手を貸して立たせました。そして、信徒たちとやもめたちを呼び、生き返ったタビタを見せました。生き返ったタビタを見た人たちは、この信じられない出来事にどんなに驚いたことでしょう。そして喜んだことでしょう。この奇跡は終末に起きる復活の先取りのしるしでした。

   ペトロがタビタのしたことは、かつて主イエスが会堂長ヤイロの娘を生き返らせた時と似ています(ルカ8・41~56)。主イエスは、娘の父母や弟子たちを残し、人々を外に出しました。そして主イエスは「タリタ・クム」と言われました(マルコ5・41)。これは、「少女よ、(わたしはあなたに言う)起きなさい」という意味です。主は、「タリタ・クム」と言われ、ペトロは「タビタ・クム」と言いました。一字だけ違う大変似た言葉です。手を貸して立たせたことも彼女が生き返ったのを見せたところもよく似ています。しかし、根本的な違いは、主イエスはご自分の力で娘を生き返らせたことです。一方ペトロは、ひざまずいて祈り、主に願ってから「タビタ、クム(起きなさい)」と言ったのです。このペトロの言葉は、主ご自身の言葉として語られたのです。ここに主イエス・キリストが働かれたのです。キリストの復活の力、聖霊の力によって、タビタは生き返ったのです。この奇跡はヤッファ中に知れ渡り、多くの人が主を信じ、信者になりました。

  主イエスは、会堂長ヤイロの娘と、ナインのやもめの息子(ルカ7・15)と、べタニヤのラザロ(ヨハネ11・43)のと三人を生き返らせています。それはイエスが神の御子であることを証する目的のためであり、愛のあらわれとして行われたものでした。ラザロの場合は、彼の死を悲しんでいる二人の姉妹、マリアとマルタを憐れんだためであり、イエスが生も死もつかさどる神であり、イエスを信じる者は死んでも生きるのであり、決して死ぬことはないことをあかしするためでした。

  使徒言行録は、当時の教会が、言葉と力ある業、多くのしるしによって信者の数を増していったことを、くり返し述べています。奇跡を行う使徒たちの時代は、あの時代だけで終わったのでしょうか。聖霊の働くところ、そこには「イエスは主である」との信仰が生まれ、イエスの名は、天地の創造者である父なる神と同じように、命と死を与える力を持っていることを知らなければなりません。このキリストの偉大な力を受けたパウロは、次のように言っています。
 「異邦人を従順に導くために、キリストが私を通して働かれたこと以外は、わたしはあえて語ろうとは思いません。キリストが言葉とわざにおいて、しるしと不思議を現す力により、御霊(みたま)の力によって働かれたのです(ローマ 15;18~19)。御霊の「しるしと不思議を現す力」は今日も続いています。私たちは罪と死の力の支配に打ち勝つ復活の御霊をいただいているのです。

 

 

 

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