塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

週刊ながのスポーツ、ボアルース長野を特集する

2017-06-17 11:20:45 | 日記
 先ほど放送された「週刊ながのスポーツ」の巻頭特集は、フットサル・クラブ、ボアルース長野でした。

 今月11日の北信越リーグ開幕戦は、南長野運動公園内にある体育館で行われ、僕も機会があれば出かけてみたいと考えています。

 本拠地はホワイトリンクになるのですが、現在はシャトルの運用が無いはずですから、僕のように車は所有しているがバスを使いたいという方のために、是非検討をお願いしたいものです。

 この開幕戦には、パルセイロ・ファンも多く観戦に訪れたと思います。

 土橋元アンバサダーがボアルースのGMに就任したことはよく知られています。

 選手でもパルセイロ出身の野澤と高野、そしてレディースの橋浦が運営に関わっていることで、パルセイロ・ファンはクラブに思い入れを持つと思いますよ。

 スポンサーはデンサンやマクロンが名を連ねます。

 ボアルースは比較的メディアへの登場回数が多いですし、ファンの認知度も今後は急激に拡大していくと思います。

 ミズノやアシックスなど大手だけでなく、ホマ、ケルメ、ペナルティなどフットサル・シューズの製造は、スポーツ・ブランドにとっても大きな武器となりつつあります。

 松本、塩尻、木曽周辺のサッカー熱は、山雅が担っています。

 長野、千曲、須坂周辺の熱は、パルセイロ、パルセイロ・レディース、そしてボアルースと単独ではなく複数で熱が起きようとしています。

 この現象もなかなか興味深いと言えます。
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ロナウドのレアル退団の信ぴょう性はいかに

2017-06-17 01:25:59 | 日記
 脱税の嫌疑が囁かれる中で、ロナウドがレアルを退団するという報道があります。

 移籍先としてはユナイテッドとPSGが候補に挙がっていますが、僕は後者の方がロナウドにとってメリットがあるように思います。

 1・パリはいつの時代でも流行の先端を行く。
  ベッカムのように彼もまた服好きですから、華やかで美しいパリにシンボルとしてふさわしいのではないでしょうか。

 2・リーグ1は彼がまだプレイしたことがない
  ユナイテッドに戻るよりも、新鮮さがあると思いますし、マルセイユとのダービーは格別と言えます。

 3・体力の面
  プレミアは試合数が多く、カップ戦も重複します。ポルトガル代表との兼ね合いも考慮すれば、フランスの方が日程、そしてクラブ間の力量に差があることで   幾何かの余裕が生まれます。

 CFのカバーニ、右にルキャス、左にロナウドという形は、彼がレアルで慣れ親しんだ4-3-3の形になります。

 一方でPSGは

 マルコ・ヴェラッティの退団、そして中盤の補強が不可欠
 パストーレやディ・マリアにも退団のうわさあり

 というように、ロナウドひとりの移籍劇に付き合うゆとりが無いことも確かです。

 ウナイ・エメリがチャンピオンズ・リーグのバルセロナ戦で敗北し、リーグもモナコに優勝を譲ったことで、指揮官交代もあると思います。

 新指揮官が突出した個性よりも

 「クラブ全体の調和」

 を求めるのであれば、ロナウドの加入は好意的にならないかもしれません。

 案外シーズンの開幕頃には、残留が決まっている可能性もある、そんな気がします。
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コール元ドイツ首相の訃報に関して

2017-06-17 01:05:46 | 日記
 先ほど、コール元ドイツ首相が他界したという速報が流れました。

 東西ドイツの統一の先頭に立った人物からすれば、ブラジル・ワールドカップで「統一」ドイツが優勝したことは、感慨深い出来事だったと思います。

 1990年のワールドカップの時は、まだ「西」ドイツ代表としての出場でしたし、東ドイツ代表との実力差は歴然でした。

 東ドイツ出身選手にも、1996年バロンドールのマティアス・ザマーのような、優れた選手が存在していましたが、統一ドイツの主力は西ドイツ生まれの選手たちでした。

 しかし、もう東西ドイツが語られる場面そのものが、サッカーでも現実社会でも少なくなりました。

 語り草なのは1974年のワールドカップですよね。

 1・司令塔の座をオベラートと争っていたネッツアーが、東ドイツ戦に出場するも試合に敗れ、以後彼は出場機会を失う
 2・ネッツアーがバイエルンではなく、ボルシアMG所属のため、意図的な配慮があった

 など、この東ドイツ戦は憶測を呼びました。

 ただ変わらないのはアディダスがジャージの提供をしているという点のみ、かもしれません。

 90年代のリベロ・スタイルの停滞
 更に混迷を深めた2000年代前半
 レーブが主導した2000年代中期からの快進撃

 を思うと、強国が強国であり続けるには、時に潔く従来の方法論(リベロの3-5-2)を捨てなくてはいけないのだと、改めて痛感します。

 ブンデスリーガの熱狂度は変わりませんが、そこに日本人選手が数多く加わるようになりました。

 90年の優勝時、クリンスマン、ブレーメにマテウスはインテルに在籍し、フェラーはローマ、へスラーとメラーはユヴェントス、というように、主力が海外で活躍していました。

 現在のドイツ代表は国内でほとんどプレイしていますが、それだけブンデスリーガが魅力的という意味なのでしょうね。
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