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塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

サッカーに諦観、という言葉は必要か

2016-09-07 01:22:19 | 日記
 日本語には「眺める」という言葉があり、それと同じ形で「傍観」と「諦観」という言葉あります。

 日本人は基本、上司や監督のいうことを尊重しますから、自分が希望する業務やポジションをあてがわれても、反抗せずにその決定を受け入れることがほとんどです。

 僕は中国や韓国の方に尋ねる機会があるならば

 「みなさんは例え目上の方の意見でも、納得できないことがあれば意見しますか?」
 「するとすれば、それは強い口調ですか、それとも冷静な形でしょうか}

 と尋ねてみたいものです。

 日本人はとかく

 「何で俺だけ」

 と思いがちですが、それは意見を口にする、前に飲み込んでいるから、という点があります。

 サッカーでも使われる側の選手と、使う側の指揮官との間で激しく衝突することがあります。

 バルセロナ時代のリバウドがそうでした。

 この時の指揮官だったファンハールは、オランダ式の3-4-3を導入し、リバウドを左翼に追いやることで、センターフォワードのクライフェルト、ライト・ウイングのオフェルマルスと共に

 「破壊的な3トップ」

 と形成したのです。

 しかし、リバウドはタッチを背負う窮屈な形に常に反発し、ファンハールとの折り合いが悪くなります。

 仮に彼を2トップの背後に置く菱形の4-4-2であれば、スペインで主流と両翼を活用したサッカーに対抗できませんし、生粋のセンターフォワードであるクライファートを左翼では使えません。

 つまり、リバウドの方が柔軟性があったわけです。

 結局リバウドはミランに移籍しますし、ファンハールもバルサを追われます。

 胸に溜め込むよりも、やはり吐き出した方が得策、という見方もありますね。
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日本、バンコクで最低限の勝ち点3を得る

2016-09-07 01:10:43 | 日記
 昨日の22時10分ごろでしょうか。

 業務を終えて会社のテレビを付けても、テレビ・コマーシャルばかりで試合の映像になりません。

 どうやら原口が得点を奪い、日本が1-0でタイをリードしているという確認だけが出来、その足で帰宅すると、2-0で勝ったという話が聞けました。

 中継は、僕が帰宅した2、3分前に終えたばかりとのことで、正直良かったと思いました。

 それはみなさんご存じのように

 1・勝ち点3を奪えた事
 2・従ってこの試合がワールドカップ予選の「終戦」にならずに済んだこと
 3・これからもロシアに向けた戦いができること

 が入手できたためです。

 ただ、オーストラリアがどこかで躓くとも思えませんし、日本は彼らが勝手に躓くのを待つしかありません。

 一方で近年、思うような成果が出ていなかったサウジも、今大会は調子が良さそうですし、特にリヤドへ遠征するのは大変でしょうね。

 サウジがイスラム教の中でも戒律が厳しい事で有名ですが、一方で国全体で外国籍の労働者を雇うことに神経を尖らせています。

 逆にこうした厳しい処置が

 サウジアラビアの治安向上
 本当に必要な数だけの外国籍労働者を得る

 という利点も生まれる背景にあります。

 乾いた空気や独特の雰囲気の中で試合を行うことは、並大抵の苦労ではないでしょう。

 日本はまだ、安全地帯にいるわけではありませんしね。
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