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塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

広告塔という名の響き

2013-11-20 23:03:48 | 日記
 僕の勤めるスーパーのように、衣料品を扱う店舗では男性(制服が無いのであれば)は、自店で扱う衣料品を着るのが
好ましいとされます。

 それはユニクロ、無印、しまむらのように衣料品のみ扱う店でも同様でしょうし、自分が着る事で来店されたお客様へ
素直な感想を述べる利点が生まれます。

 つまり

 「歩く広告塔」

 を従業員が担うことで、プロサッカーとは異なり、ギャランティを払う必要のない、言い換えれば経費削減での広告塔
というわけです。

 でもこれはあくまで理想であり、頭のてっぺんからつま先まで、全てを自店で賄う従業員はそういないでしょう。

 僕もそうで、例えば財布とキーホルダーは東急で買いましたし、シャツはその多くを地元のフレックス・ジャパンを選
択します。

 サッカーも同様ですが

 「靴とスパイクに与えられる選択の自由」

 は僕たちにもあると思いますし、やはり自分に合わない靴で作業をしても、はかどるどころかむしろ大きなストレスを
感じてしまいます。

 サッカーではジャージ、ストッキング、ウーブン、これらを選手は個別で選べませんから全てクラブが用意したものを
着用します。

 アーセナルはナイキからプーマ、ユヴェントスがナイキからアディダス、ローマがカッパからナイキへ。

 現状の契約を打ち切り新しいスポンサーを手を組むのは、勿論社会貢献活動やプロモーション内容もも考慮されるでしょ
ウが、やはり

 「提示金額」

 に魅力があるということでしょうか。

 僕たちが無料の広告塔であれば、選手はギャラを払って着てもらう側になりますが、ブランドとしてはジャージはともかく
スパイクを提供した選手が

 「怪我と無縁」

 であることを祈っているにちがいありません。
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自意識過剰が生むサッカーへの意識

2013-11-20 00:26:25 | 日記
 「サッカーにおける自意識過剰」

 これはダービーにも当てはまります。

 例えばレッズとアルディージャはお互いを良く思っていないからこそ、その感情がさいたまダービーの複線になっているわけ
です。

 憎悪、苛立ち、価値観の違い

 ダービーにおける自意識は間違いなくマイナスの要素が圧倒的でしょうが、逆に自分が常に対戦相手を意識しすぎているから
こそ、起きる感情でもあります。

 これも自意識過剰の一例ではないでしょうか。

 例えばパルセイロと山雅でも、負けられない気持ちは当然ありますが、少なくともお互いが敬意を払う土壌があるのは、ファン
がさいたまダービーのように

 「同じ都市の住人ではない」

 為でもあるでしょう。

 例えば山雅ですと

 1・松本大学との共同開発で弁当、デザートを販売する
 2・反町監督という有名監督の就任
 3・松本空港を利用したクラブと松本市の情報発信

 がパルセイロにはない大きな武器であり、特に集客とリーグのカテゴリーに関しては太刀打ちできません。

 ではパルセイロにあって山雅にないものを考慮しますと

 1・レディースとアイスホッケーの支援
 2・新スタジアムが2015年に完成予定
 3・JFLではあるがリーグ優勝という結果を持つ

 という点が挙げられます。

 僕は上記の点で彼らに敬意を払いますし、山雅の方も敬意を払ってくださる方は大勢います。

 つまりサッカーにおけるファン、選手の自意識過剰は子供が喧嘩した際相手にあたえる

 「捨て台詞」

 のようなものかもしれません。

 でもそうでなえければ億という大金が動き、結果がでなければ解雇されてします昨今のサッカー界で生き残れないのも事実
ですが。
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自意識過剰の中で生きてゆく

2013-11-20 00:17:59 | 日記
 「自意識過剰の物語」

 僕がもし映画監督でサッカーを題材に選んだならば、サブタイトルは上記の形にするでしょうね。

 自意識過剰というのは周囲からすれば気分の良い物では無いでしょうし、フランスならばサミア・ナスリ、ベン・アルファの
ように悪態をついたことで理解が得られない選手は、この範疇に当てはまるのでしょう。

 一方でフランスがウクライナを

 「うっちゃりブラジルに行く」

 というミッションを成し遂げるには、この自意識過剰の精神、言い換えれば自信を持つことが不可欠ですよね。

 そうでなければ

 「ナスリもリベリも口先だけ」
 「クラブでは素晴らしいが代表では平凡以下」

 と大衆は陰口を叩くに違いありませんし、何より2008年以降から続くフランス代表の求心力の低下をここで食い止めなけれ
ば、2016年ホストとなった欧州選手権の開催が無駄になります。

 「評判が良いのはナイキの手掛けるジャージだけ」

 ナイキにスポンサーが変わって以降、ボーダーを巧みに取り入れたフランス代表ジャージは常に注目の的ですが、見てくれがよ
くても内容が良くないのでは周囲は去ってゆくだけです。

 それは人間も同様なのでしょうが。

 もし僕がフランスサッカー協会に人間ならば、2016年まではデシャンに任せ、それ以降はリュデイ・ガルシアに任せたいと
いう案件を提示したと思います。

 それはあくまで

 「ブラジル・ワールドカップにデシャン政権がたどり着く」

 という前提あってこその話なのですが。

 もしウクライナが勝利すればデシャン政権は交代するのでしょうか。

 少なくとも2010年フランスがワールドカップに出場できたのも棚簿他の結果ですし、フランスが敗れた瞬間、アイルランド
中のパブから代名詞である

 「ギネスビール」

 があっという間に消えてゆくかもしれません。
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