akikoの「活動」徒然記

活動弁士佐々木亜希子の身の周りの出来事やふと感じたこと

10/2 『折り梅』

2006-10-02 | 映画・芸術・エンターテインメント
松井久子監督の映画『折り梅』上映会と監督のトークが横浜市アートフォーラムあざみ野で開催されました。

昼の部、夜の部、9割の来場者が女性。監督の第一作『ユキエ』も私は拝見していませんでしたが、初めて『折り梅』を観て、女性たちがこれほどまでに感動し、応援するのがよくわかりました。すでに全国で100万人以上が鑑賞しているとか。

大ヒットを狙った娯楽作品ではありません。商業的な映画ではないのです。
何とか、これを映画作品にすることで伝えなければならないもののために、監督自らが、内的外的必然性に導かれて世に送りだした、良心と愛に満ちた感動作です。
描かれるのはどこにでもいる主婦、誰もが置かれうる状況。認知症という義母を抱えることで起こる家族の軋轢。夫婦親子の苦しみとそこからの再生です。

認知症になった時、忘れていく恐怖、崩れていく自尊心と闘いながらもっとも苦しいのは本人であり、変わっていく本人をありのまま受け止めて、家族や周囲の人間が愛し続けてあげることが何よりの支えであること。
自分が変われば、周囲も変わるという人間関係の根本。
そして、人間には自分すら知らないたくさんの能力が眠っていて、ある機能を失っても、別の才能が開花し幸せで穏やかな生を送ることはできるのだという希望。

実に細やかな、優しさあふれる、女性ならではの視点で描かれており、介護や家庭を常に考え生活する女性層には、とりわけ共感と感動が込み上げてくる作品です。ぐっと胸の中をこじ開けられて何かを突き付けられるーあるいは反省を迫られるーというよりは、作品中の家族とともに同苦しながらも、もっと温かく満たされた気持ちになり、希望や愛を分け与えてもらえるという印象です。

第1作『ユキエ』が全国で上映され、フィルムとともに各地へ赴く中で、あるご婦人が認知症の義母とともに松井監督に面会に訪れました。自身が記した著書『忘れても、しあわせ』(日本評論社)を携えて。
まだまだ男性社会である映画界で、50歳を過ぎて初監督というのは並みたいていのことではありません。もう映画製作は一作で十分と思っていた監督ですが、この介護手記を読んで、この実話を映画化することで多くの人に希望を届けたいと思ったのでした。

脚本は、松井久子監督と、しんゆり映画祭の実行委員長でもいらした黒澤組の白鳥あかねさん。
『折り梅』の作品としての成功を支えているのには、原田美枝子、吉行和子、トミーズ雅、加藤登紀子らの、説得力のある素晴らしい演技があることも忘れてはいけません。

『Always 三丁目の夕日』、『パッチギ』を始め、昨年観たいくつもの邦画に私は感動しました。でもそのどれともまた違う、女性らしい、日常に一番近い感動を与えてくれた真摯な作品で、確かに、これはなかなか商業シーンでは生れにくいものだと感じました。
渡辺謙主演の『明日の記憶』のヒット等、最近はこうした身近でシリアスな問題を取り上げた地味なテーマの作品も浸透してきましたし、「若年性アルツハイマー」も認知されていますが、松井監督が『ユキエ』(これも若年性アルツハイマーに苦悩する夫婦の愛の絆を描いたもの)を撮影したころはまだ痴呆症=タブーといった風潮もあり、映画化には見向きもされなかった状況だったようです。

でも、松井監督の第三作を応援しよう、また監督に映画を作ってもらおう、とサポートする女性たちの姿を目の当たりにし、こういうパワーが映画界を変えて行くとしたら面白いなあと嬉しくなりました。

松井久子監督の第三作を応援する会(マイレオニー
私も、イサムノグチの母レオニーのストーリー、第三作を楽しみにしています。
コメント (4)
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