野々池周辺散策

野々池貯水池周辺をウォーキングしながら気がついた事や思い出した事柄をメモします。

多聞寺の「カキツバタ」

2013-05-15 06:24:22 | 
先日の神戸新聞に、「雨露に紫しっとり」との書き出しで、神戸・多聞寺のカキツバタが見ごろと紹介があった。
今年は春先に気温が低い日が多かったため、例年より1週間ほど遅めの開花だそうだ。昨年、神戸新聞で多聞寺のカキツバタの事を初めて知り、13日にカキツバタ見物に行ったとブログに書いている。その時の多聞寺と言い、カキツバタと言い、見事だったので、昨年FBにも投稿したら、モトクロスOB会の阪口さんから書き込みが来た。「ここのカキツバタは本当に見事ですね! この寺の住職、弟とは幼なじみで、 小さい頃(50年ほど前?)池でザリガニとりをしてました。 その頃は周りには田んぼ以外何も無かったです。当たり前か(笑)」 そうか、阪口さんはこの地域の出か、知らなかったな。50年ほど前は、その周辺は田んぼばかりで多聞寺の池でザリガニを獲っていたとは、今の風景を見る限り直ぐには信じ難い。今の多聞寺の周りは西神と垂水の主要交通路で喧騒としているが、主幹道路から一歩中に入るとそれはお寺の中、打って変わって静かだ。今年の多聞寺カキツバタ見学も、昨年と同じ13日。天気も夏日に近く汗ばむ陽気。だけど月曜日とあって、昨年苦労した駐車場もスムーズに入れた。カキツバタはちょうど見頃で、カメラマンも多く、また介護施設のお年寄りもゆっくりと散策出来て、好い日に訪れることが出来た。
 
 
          
 
             

また、多聞寺には「盃状穴」の石が沢山あるのでも有名だそうだ。
「盃状穴」の石とは聞きなれない言葉だが、ウキペディアにはこう説明されている。
「石に対する信仰は日本でも古くから存在した。日本の盃状石は縄文時代から作られている。
 元々は磐座に彫られ、子孫繁栄や死者の蘇生を願ったものとされている。古墳時代には古墳の棺に彫られた。
 鎌倉時代には村の入り口に魔よけの目的で作ったり、神社の灯篭や手水石等に彫る事が多くなった。
 東大寺の転害門に彫られた盃状穴もこの頃に彫られた物である。江戸時代には従来の目的に加えて、
 昔作られたものを元にして新たに数多く作られた。
 盃状穴信仰は維新後も残り、昭和初期までは作られていたという説もある」
つまり、「その目的は判然とせず、誰が何の目的に明けたかは不明」、だから、それを研究する在野の研究者もいる。
   「端面に掘られた窪みが盃状穴」

多聞寺・こうべ花の名所50選の説明書きによると、
「神戸市垂水区の閑静な住宅街にたたずむ多聞寺は、平安時代(840年頃)、最澄(伝行大師)の弟子・慈覚大師が開基したと伝えられる由緒ある古刹です。 多門寺の境内には約3000株の杜若(カキツバタ)が植えられており、1100年ほど前に慈覚大師が中国から持ち帰ったのがはじまりと言われています。 境内の心字池、弁天池の曲橋、そして杜若(カキツバタ)の花の風景は「こうべ花の名所50選」に選定され、地域住民によって大切に育てられています。」

神戸垂水 多聞寺のカキツバタ
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