野々池周辺散策

野々池貯水池周辺をウォーキングしながら気がついた事や思い出した事柄をメモします。

明日、皆が集まる

2018-07-06 14:17:11 | 二輪事業
「カワサキ・モトクロスOB有志の会 、記念Tシャツ」
明日(7日)七夕の日、「カワサキ・モトクロスOB有志の会」と言う、懇親会が開催される。
カワサキモトクロスの歴史を構築してきたOB有志が、今年が「Kawasaki Racing Team 45 & Team Green JPN 35」の期に、カワサキでMXに従事してきたメンバーだけに限定せず、広くカワサキモトクロスを応援してくれた在野の応援団、所謂「緑の血」が流れている人も含めて大方100名超えのメンバーが集まる予定。

有志の会と言う、全くの内輪の会に、100名超えの関係者が集まってくれるらしい。前回、5年前のOB有志の会も当初想定したよりかなり多くの賛同者が集まることになって、熟慮した結果、ワークスに近い関係者からに絞らざるを得なくなり、82名の参加者に絞った経緯がある。今回は、ワークス関係者だけに限定せず、国内販売会社のレースチーム「チームグリーン」関係者に声を掛け、加えて市場でカワサキのMXを側面支援して頂いた人にも参加を呼び掛けた。何故なら、カワサキのモトクロスの成立ちは多くのファンの支えがあって存続してきた歴史なので、カワサキに好意的な在野の多くのメンバーが集まり、結果的に100名を超すことなったが嬉しい事だ。しかも、複数の出席者からは横断幕や展示品の無償提供申し出があり、技術屋出身者で構成されたずぶの素人集団が立ち上げたイベントを側面から支援して頂くことになって、繋がりとは本当に有難い事だ。

5年前、2013年と言えば、「KX40周年を祝う有志の会」に開発関係OBやカワサキワークスチーム関係OB有志が一堂に集まり、語る会を開いた年だ。当時、KX40周年にこんなことを書いていた。「1973年にデビュー以来、数多くの勝利とタイトルを獲得し続け、その評判を揺ぎ無いものとした、カワサキの輝かしいモトクロッサーブランド「KX」が40周年を迎えました。以来41年、一度たりとも開発を中断することなく、一度たりとも生産を中断せず、一度たりともレースを止めることもなかった40周年です。この間、モトクロッサーの最適技術を開発し続け、世界中のモトクロスファンに愛され、多くのチャンピオンシップでチャンピオンを勝ち取りながらKXは改良されてきました。 これもひとえに多くのカワサキファンからの真摯な指摘と支持を受けて、毎年進化し続けてきた結果であり、そして現在も進化し続けている歴史がKXの40周年だと思います」。5年前の「KX40周年を祝う有志の会」は開発・ワークス「カワサキレーシングチーム」に近い有志に出席者を限定したが、それでも九州、関東からも馳せ参じてくれた出席者は結局80名を越す盛大な会となったが、その時、次は5年後に再び会おうと約束していた。

一方、ワークス活動を行なう「カワサキ・レーシング・チーム(KRT)」とは別に、国内の販売会社が立ち上げた販促目的のレースチーム「チームグリーン」も創立されて以来、今年は35周年となる。この間、技術部がマシン開発のために運営するワークスチーム「KRT」と販売会社が運営する「チームグリーン」は切ってもきれぬ関係で互いに成長してきた。かって、KMJの「チームグリーン」は、多くの優秀なライダーを育成し国内で特筆すべきモトクロスチームとして名をあげた、モトクロスライダー憧れのチーム。誰しも一度は「チームグリーン」のメンバーになりたいと思った。優秀なライダーは「カワサキレーシングチーム」がテストライダーとして契約し、耐久テスト等で練習させながらレースはチームグリーンメンバーとして出場し、格段の実績を挙げた成績優秀なライダーは「カワサキレーシングチーム」のワークスライダーとして契約するという循環システムを構築した。共に互いに補完しあうことで、カワサキのモトクロスチームは全日本のモトクロス界において歴史を作りあげてきた。その輝かしい実績と歴史を持つKMJの「チームグリーン」も35周年になる。

 「1963年、青野ヶ原はから始まった歴史」
カワサキモトクロスの歴史を、そもそも論で言えば、”明石工場50年史(H2年10月発行、川崎重工業株式会社 明石工場)”にはこうある。『昭和38(1963年)年5月、青野ヶ原 MFJ兵庫支部主催 第一回モトクロス大会に、市販車改造B8レーサーと経験の浅い素人ライダーでレースに臨んだ。(略)・・  このころは、工場チームの組織はなく、有志が集まり改造に取り組み、業務の合間に乏しい予算の中で残業代も返上し、手弁当さげての出場だった』と記載されている。当時、単車事業の業績が悪化し赤字が増える一方だったため、1963年に入ると事業継続か中止かが経営上の大きな課題となっていた時期であったが、青野ヶ原の完全優勝を皮切りに事業部全体が自信を取リ戻し、優勝マシンB8の成果を背景に10月、積極的に事業展開したと本書は解説している。つまり、当時単車事業部は赤字が続き事業見直しの議論が行われていたが、赤タンクモトクロッサーの活躍で、このカワサキの技術を活かせば事業は軌道に乗せることができるとの判断が下されたのだった。モトクロスの大先輩達が単車事業を救ってくれたのである。

今回、当時の青野ヶ原のレースに実際参戦したメンバーから当時のレースの模様を話してもらえることになった。加えて、この青野ヶ原レースがその後のカワサキの二輪事業に如何に貢献してきたかも話していただく事になった。更に加えて1972~1973年当時、先頭を走るホンダ、ヤマハ、スズキなどの競合他社に負けじとレース組織を立上げた経緯や欧州MX戦線への初挑戦等々、単なる昔ばなしかどうかは聞く人の捉え方によって異なるが、当時、遅れて出発したカワサキの技術屋や販売担当の若手から弾けでたマインドを今なお持ち続けた大先輩の話は、今聞いてもきっと新鮮に聞えるに違いない。

実は、台風過ぎた後、5日、6日と梅雨前線が神戸近辺に滞留し、交通機関が乱れている。開催を不安視したが、圧倒的に開催希望が多くあり、予定通り開催することが決定した。


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