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しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

「父の野戦日誌」

2017年12月05日 | 盧溝橋事件と歩兵10連隊(台児荘~漢口)

親亜細亜の動きは日一日と深刻、決裂を深めている。
いよいよ壮士・先輩・諸賢の元に往くことにあいなる。 5月3日、来たるべき日はきた。待ちに待った出征の日は来た。 満堂の声に送られつつ、なつかしい兵舎を後にし、戦友と別れをつげ自動車にて一路駅頭に向かう。
早朝より揺る雨は矢のごとく、僕らの出征を祝福するかのごとき岡山駅プラットホームを離れた。時まさに岡山駅零時16分。ああ、これまさに最後だ。
歓送の音楽の音に万感の音、耳に満ち ただ一筋に心はおどる。
ああこれが彼女との最後の決別か!
「お元気でね」
汽車は一路山陽本線を南下しつつある。
2001年8月5日
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大門駅で両親と別れ
汽車は一路山陽本線を南下しつある。
なつかしの母校(城見小学校)を眺め、小学校の歓送に感謝の涙にむせびつつ、汽車は大門駅に着く。
1時30分。
御両親に最後の別れを告げ
故郷を後に一路汽車は進んだ。
2001年8月5日
福山にて姉妹と会う。
ああこれで最後。故郷よさらば。
ご両親よ健康に。
姉妹よ健康に。
「よけいでねぇんじゃ。ワシらが行ったのは岡山から12人しか行ってねぃ。」「姫路から10人」
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2001年8月5日
軍都広島に着く
軍部のプラットホームに着く。 「ちゃのま旅館」に泊まる。
軍都広島の夜は実に美しい。
一夜を明かす。
市内より午後二時、病院船千歳丸に乗り込む。
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2001年8月13日
千歳丸に乗り込む
船は岸を離れた。岸からの○○の声も次第次第に遠のく。
春風は気持ちを良くし僕の笑顔をなぜ通る。 海上のすいきも、ああ船と共に進む。
○○も僕らの眼線より消えていく。 遠く近くにとびかうかもめも,山河もこれが見納めかと思うと、さらば、おさらば母国よ。
s13・5・7
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洋上にて
海峡にそって、ああ船はすべり目的地へ、目的地へと玄海灘をすすむ。 若者の○○は、なにものぞ。 洋上にでて、水平線場で夕陽を拝む。さざなみのように実にうくくしい。 船はは洋上の彼方へ彼方へと進んだ。
s13・5・10(洋上にて)
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タンクーへ上陸
海上無事、タンクーへと上陸だ。大陸第一歩の喚声やいかん。
我が先輩らが血を流して得た土地。
もくもくと点在する民家も倒れ、砲撃の激しさを語っている。
ところどころに残る砲弾の跡。だが支邦の人家は皆、土の壁だ。
もぐらか,蟻のありかのようだ。
支邦保安隊の警察団のものものしい警備。
zzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzz
一路天津に向かう
タンクーより汽車に乗り、一路天津に向かう。
車窓に映る大陸の景。広漠たる平野だ。
まったくぞくぞくする水平線の各戦跡の車窓。
我等は元気で天津に着いた。
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天津
天津は平穏だ。この土地が敵国の土地か。 多くの兵士でいっぱいだ。 各機関は思うように運転している。 支邦特有のチャーチャンが多く、シャーシャンを見る。 午後7時天津を出発済南に向かう。
5・12
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黄河を渡り済南へ
途中、同輩が苦心して得た○○駅、○○駅を戦跡を眺めながら渡る。 銃弾砲撃した跡を眺めつつ通過していく。 各駅は警備の兵が我々の○○を守ってくれる。 日中は大変暖かくなってきた。 広漠たる地平線、遥かなる地平線を汽車は、一路大陸へ大陸へ。 には日章旗と五色がひるがえっている。 農夫もみうけられた。 子供たちは鉄道付近にきたりて、「バンザイ」「バンザイ」と叫びつつ、僕らを歓迎してくれる。 午後6時30分。東洋の大河・黄河の鉄橋にとおり着く。
その鉄道は陰もなく破壊され、むしろなにを運ぶ・・・・無事汽車は通過し、午後7時汽車は済南に着いた。
【父の談話】2001年8月6日(破壊された黄河鉄橋では)船を繋いで、その上にレールを敷いとった。 爆破しっしもおて、鉄道があったのが。 船は浮きになるんで、その上に柱を繋ぃで、鉄橋にしとった。
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済南に着く
済南は山東の都だ。建設物が勇壮で、実に平穏だ。
しかし空爆のあと、砲爆の跡、銃撃の跡が見える。
ごうけんの××にて合掌する。
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赤柴部隊へ
遠くのほうで銃声・砲声が聞こえる。しかし、待ちに待った戦場へいよいよ到着したのだ。
戦車・装甲車の車輪の音。 自動車のひびき、ごうごうたる○○本部だ。
本日はいよいよ隊へ配属されたのだ。 自動車にて一路戦線へ、戦線へと進む。
途中の戦跡、戦傷者の輸送。 各隊のものものしい警備。 顔、みな悲壮な決心がうかがわれた。
無事午後1時30分、赤柴部隊本部へ到着する。ああ戦場の柳の木、しょうようは散り倒れ、穴も各所に見受けられ、時々は、敵の不発の手のやつが空をじっとにらんでいる。 実に物騒なところだ。
流弾が地上をかすめる。 兵は皆、鉄帽をかぶり家の内や、穴の中に潜り込んでいる。いよいよ、第一戦だなあ、でも赤柴隊長殿の英姿をあおぎてわれ等も元気をだす。
言葉をいただき我等衛生兵10名はそれぞれ各隊へ配属される。
【父の談話】2001年8月5日
父の談話
そりゃ、行ったときにゃ皆。穴ん中へおったんじゃけいのう。 穴の中から出てきて挨拶。せぃが済んだらまた穴ん中へ。
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赤柴部隊へ到着②
自分は第二歩兵砲隊付だ。ここにきて篠原のぼるさんと会う。 彼は元気でいたが、実に転々の過去がある。
同郷の人と戦場で会う、出会う、語る。実に嬉しい。 個人のうかがいしれない感じである。2001年8月5日
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徐州戦日誌の中断について 談・2001年8月5日
5月15日赤柴隊(岡山歩兵10連隊)への合流後、父の日誌は9月へ飛ぶ。以下父の話し。
行軍ばっかりしょうた。
移動ばっかりじゃ。
場所もわからん。
戦争でかけりあるくだけで、書くコトがねぃ。
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ぬかるみを歩く
2~3日の雨が降る。
本日も雨である。 急に激しくなってきた。 予定のとおり六時出発だ。
雨はますます降り、我々は身も濡れ、濡れ鼠のようになって、一路目的地へと進む。 足はぬかるみにとおり、土は身体につく。「たいてい」の二の舞だ。ますます激しい雨。休みつつすすむ。 実に戦場ならではの光景。
○○にて
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光山懸城に入城する
雨天の中、こうざんけん城に入城した。
信陽攻略の要所だ。
空爆の跡を見る。高層な健築物は無く、ただ外部の一部一部を残すのみ。
その他は整然として聳える○○堂、そして繁華街は昔をしのばせるおもかげは語っているようだ。あちらこちらの家陰、木陰に、支邦軍部隊の死体がわれ等の目にはいる。 我等は降りつつ雨の中気合をいれつつ、戦闘の戦果を納めつつ意気洋々と入城したのだった。
思えば徐州出発以来、いかなる雨天に悩まされつつ、悪天候と戦いつつ、あの日この日も休み無く。 血の攻撃、実戦悪夢。
敵の攻撃、悪戦苦闘で、今ようやく、光山懸へ入城するのだ。
その雨につけ、照るにつけ、思うのは故郷のことだ。 朋は、姉妹は如何に。
だがそのような実に恥かしい。ただ戦闘の束の間にちらつくホンの一瞬だ。
今はこうざんけんに入城する。後6日で我が氏神様の祭典だ。
ありがたき神様のご加護により生き長らえていることを誓って今日を休む。
1938・9・25(光山懸城内にて)
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餅の味
餅、餅は自分にとりては好物の味。なつかしい我故郷にて食べた腹いっぱい餅の味は、別に格別だ。めでたく入営軍隊に入って、母が面会に来てくれた時、いただいた餅、実になんたる味がする。 家にいる時には10銭20銭と買って、分けあって食べていたが、それとは天地の差だ。
思い出せば、出征の際父が、たくさん買っていただいた餅より、食った事が無く、話ばかりだ。
これも(作者記・生きていたこと)本日、充分なる食事ができたのも我が戦友たちと、本日まで世話になりつつきたのだ。
1938・9・27
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2001年8月15日 作者記・敵との戦いよりも、毎日の飢えとの戦いの方が続く行軍中に夢見た父の話である。
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大別山頂
先日来より降る雨。山また山。 合間の清水なめらかに音を聞き、内地のようだ。
今支邦大陸の大別山を今越えんとす。
ナポレオンのアルプス山脈越えにも比す。
米・食糧もなく、なんば、なんきんマメの粥と、塩だ。これで毎日の行軍進軍だ。
実に苦しい。だが我が身体は君にささげたこの身体だ。ますます一路一路血の行軍だ。
一路岩壁・絶壁をすりぬけつつ、馬は千尋の谷間に落ち、落死するを見る時如何に惨たるや。 人も死ぬ、馬も傷つき。
工営隊の先輩が、道無き道に作った道をわれ等も足元に充分気をつけながら行く。いっぽ一歩前進した。
1938/10/26・大別山上にて
談・2001年8月15日
なんじゃゆうて、こうなんじゃ。(手でその角度を示す)
馬はころげて下へ落ちる。人間も落ちて死んだんもおる。
路は細ぃじゃけいのう・・・滑ったら落ちる。落ちたら死んでしまう。
よう、こわぁとこを通るねぃゆうとこじゃ。
せいじゃけい、普通なら通らん、きょうとぉて。
命が惜しいけぃとおる。独り残されたらやられてしまうけぃ。
みんなの勢いでとおる。しょうしょう馬やこが落ちても・・・人間だけでも、で、通ぉていきょうた。
その頃は身体もようよろいごきょうた。 関連リンク・大別山の食糧不足
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大別山の頂上に立つ
時まさに、昭和13年10月26日。午前8時30分。
中支・大別山の頂上に立った。
6時頃より山は霧に覆われ、眼下には白雲がたつ。
同時に夜のとばりが明けんとす。
行軍と小霧が顔につく。
吾は思わず、排刀「ひさつぐ」を抜き絶叫してみたかった。
道は今だ急、ローソクをたより、下りかけて中腹の民家にたどり着く、時は12時真夜中だ。
それより夕食を炊き、食して床についたのは27日午前2時30分。
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大別山④随想
昨日の疲れも何時の間にやら本日も行軍。 一路漢口へ。漢口へ。
いよいよ二人、一人と、途上をうらうらと、さまよいつつ、倒れつつ行き進む。
色あせる顔、死人の如く。
吾等、身も心も疲れきり、ただいっしょに一歩づづ脚をすすめている様子だ。
薬物は無く、ただ死を近くに感じるのみ。
いや生きつつ地をすすめるのみ。
紅葉ははかなく地上に舞い落ち、今は我故郷と、現在を比す。
風に散る黄葉はひらひらと、吾がままならぬご奉公なりけり。
1938/10/27
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大別山④山間の美
我等は一路敵後方への進撃を目的に一路、大別山の堅山を越え、今山頂を降り立つのだった。
山は黄葉に彩られ、稜線は女性的になだらかに、もくもくと点在する民家。
いかなる芸術的な美で、入陸以来はじめて見る景色だ。公園のようだ。
どちらを向いても女性的な線。なごやかな景色を眺めつつ
日本の心地。日本の秋の美と比しても、天国の楽天のようだ。
小鳥の声、今までの疲れも吹き飛んで、美しい景色に見入れられ。
ああ中支も、このような綺麗な天地もあったのかと、右左をながめつつ
何年もこの地にて居たい心地せり。
漢口へ、漢口へ 大別山山峡にて 10月22日
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大別山の食糧どろぼう
作者記・大別山越えは、他のページ・資料でも記されてはいるが、たいへんな食糧難であったようだ。
食べるもんがねぃ。
それで、畑の○○を盗る。
なんじゃゆうて畑は下の方。
それをはさんで見方と敵がおる。
両方みんなが見ょおるんじゃけい。
頭を見られたら撃たれる。
溝みたいなここを、どんごろすをもってかがんで這うようにして歩く。
畑に着いたら、かがんで、頭をださんように、見えんように取る。
どんごろすが一杯になったら、くくって、縄を上から引っ張り上げる。
これでほおて(這う)道へでて、せねぇ背負うたり、引っ張ったりしながら戻ってきょうた。 見られたら、すぐ狙撃されっしまう、うっかりしょうたら撃たれて死んでしまう。
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漢口①激戦なまぐさき漢口にて
あの丘この森。 堂々たる陣地の集落。 防備実に驚くべきことだ。
銃砲の塚などなかなか良くできている。
これもソ連・米国・英国の援助なくしてなにができるものかとも思う。
ああしかし、堅陣も吾が皇軍の前にはいかんともせん。 攻撃数日にて陥落か?
1938・12・2
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漢口②戦に疲れて、ひと休み
上陸以来、一路漢口へ、漢口へと血の出るような進軍行軍。 出発以来5日目に漢口城に入城できた。
漢口へ上陸へした。
その間支邦大陸の帝都 漢口・武昌・・・・武漢三鎮。 揚子江が流れ政務・行政・軍事・交通・経済・外務の中心地たるや、その建物もまた雄大かつ壮大だ。
しかし高く聳える高層の上に、日章旗がひるがえる光景は実に美しい。
この日章旗をあおぎ見るとき、共に皇軍の一員として無事入城できたことは実に嬉しい。
しかし戦火なかばにして倒れ、多くの鬼と化した戦友の英霊に対して忠心より哀悼の意を表す。
1938・12・2(漢口にて)
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漢口③漢口防護の支邦軍
第三国の援助無くしては出来なかったであろう、揚子江岸の防備を見た。
英租界、前には支邦軍の陣地、その前に銃岸じつにものものししい。
前は陣地、その後ろは英国の国旗がひるがえっている。
攻撃しても、攻撃できない。
食糧は外国からの援助、防護は指導があったものかもしれない、混ざっていたかもしれない。それでも我皇軍の前には落城か! 蒋介石の直系軍の遁走。 漢都とはいえ見よ皇軍の蹂躙の跡、支邦人家の惨状も格別なり。 家・屋根・壁、集落焼け落ち、ただ残るのはレンガ、焼け石ばかり。その間、我が軍が警備・復活を見つめている。 外国の国旗は判然とひるがえっている。
我砲撃の、爆撃の成果だ。
陸戦隊の警備、陸軍の警備。
その中央には軽気球が上棟高く北風に吹かれている。
海上の警備艇、我軍艦が江上をにらみ海上をはしりまわっている。
ああ、我皇軍の揚子江は如何。
1938/12/3
2001年8月15日
【談・2001年8月15日】
(敵陣地は)租界地を利用して攻撃できんように、ええようにできとった。
蒋介石軍は、火をつけてにげるんじゃけぃ、ぼっこう燃ようた。
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白米を食べる
家の長屋のようなところに白米が、真っ白ぃ。なんぼうにもある。
大別山を越ようた時にゃ(食べるものが)無いんで、よそのを盗って食ようたが。
漢口に来ればなんぼうでもある。
おおけい街じゃけぃ、倉庫の中は白米がそのままじゃ。積んである。
せえつぅ、今度はこっちが食わねばしょうがねぃ。
なかににゃ、食いすぎてピーピーになったのもようけいおる。
大別山の時にゃ、そりゃ食いもんがのおて、食べてないけいのぅ。
談・2001年8月14日
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ままならぬこの身
波は月風、砕けば砕け。 僕は浮世の渡り鳥。 今日は軍人ままならぬ身。
御国のためのご奉公。 今日は討伐。敵の矢玉もなんのその。
僕の命はただ、誰が知る。 護国にささげたこの身体。
明日は遅番、敵の陣。夜は月に見守られ一人たたずむこの大地。
星は輝く幾星霜、故郷はるかにながむれば、なぜか乱れる天の川。
1939/6/9
【談・2001年8月15日 】
あのほうが茂平の方かのう、ゆうて空を見ょうた。
わかりゃあせん、ほうかのう、思ぃながら見ょうた。そわぁなもんじゃ
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城見小学校へ
若葉香る楽天地。緑風香る校庭に、
学び舎の窓に平和の光り満ち溢れ。
ああ聖戦も幾星霜。
丈夫の
ああ恩師よ○○よ、
なぜか忘れぬ学び舎と、故郷を遥かながむれば
故郷の山河に輝く月も、揚子江上に輝かん。
ああ戦場より故郷の空へ。
「ねいしん」より母校へ6月8日
作者記・他に茂平銅山婦人会あてと、家族あての手紙下書きがある。
2001年8月15日
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夜の月
一日戦塵にまみれし身体を風呂にて流し。
露天風呂だ。
美しい月と星をながめつつ身体を流す。
一日の疲れも吹き飛んで気持ち良い。 僕等にとっても月は美しい、この月も故郷の山河に輝いているのだ。 内地の両親の求めで突進していくのだと思うと、なんだか懐かしい。 寂しい気持ちもさらっと忘れてくる。
戦友眠りにつく頃、俺の今の気持ちを伝えて暮れと一点の曇り無き空を見る。
懐かしい郷里の事がそろそろと、脳裏に浮かんでくる。
彼等もまた決して無心ではないではあろう。
幾千年の間、人類の過去、盛衰を彼等もみな知り尽くしている。 突然夜の静寂を貫く銃声は、敵奇襲かと銃を取り外を睨む。 月は輝く銃声に、月陰あわく人の波。
いざ来たれり、いざ撃たん。 吾等の腕は鉄血の、御国にささげたこの身体。
銃身の彼方に、ただこうこうと輝いている人の陰。 戦友たちの話し声。
きょろくにて(1939)6月27日夜11時
2001年8月15日
談・2001年8月15日
ドラム缶の中で風呂にしょうた。
下は熱いので下に板を敷いて入りょうた。
横も当たれば熱い。
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八路軍
灼熱の大地。八路軍の急追。 黄塵の中、戦う我等。 柳の陰でやどす、ああ追撃戦の玉の汗。 一路皇軍の東洋平和を祈りつつ。われ等は思う。早く目覚めよ。蒋介石軍よ、共産党軍よ。
(きょろくにて)2001年8月15日
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大陸の春
熱風・黄塵ついて灼熱の大地を行く。 緑あざやかな、平和の春がよみがえる。
しずかなどよめき、クリークの柳、羊の群れも草を食う。
手かご下げてクーリャンの口から漏れる草笛。
こうりゃんは高く伸びて行く。
談・2001年8月15日 こうりゃんの話
むこう(支邦)では麦とこうりゃんを植えている。
冬に麦、六月頃それを刈ると次はこうりゃんを植える。
こうりゃんはこの方でも植えとる人がおったが、とうぎびじゃ。
木が高うのびる。穂がでる。実がおおけい。
皮を取ってすてて、中の実を、こんどは挽く。そしたら結構になって、今度は食える。むこうでは(自分達も)こわぁな物ばぁ食ようた。
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一晩寝たら海
父の日誌には二ヶ所絵が書いてある。一ヶ所は漢口の図・・日本軍・支邦軍の配置と租界地・長江・道路。
そしてもう一ヶ所が北支での洪水の絵である。
談・2001年8月14日
水もいよいよ無ぃところで、一晩寝てみりゃぁ、海になっとった。
土手以外は海。
どっこぇも行かれん。 飯もありゃあせん。 高いところには木が生えとる。
とうきびが植えてあった。
そしたら工営隊の人が鉄船を持ってきた。組立式でのう、カチ、カチィと止めて。ええようにできとった。
6月26日となっとる。昭和14年の。
談・2001年8月15日
畑はみな沼っしまう。
こうりゃんは埋っしもうとる。 人間が住んどるところは高い。
間はみな沼る。 水はすぐ引いたが。面白ぃもんじゃのう、思うて書ぃとった。
地名は「かいでんそう」
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日誌のスタンプ
父の日誌にはところどころ青や赤の色あせたスタンプが押してあった。日誌を見ながら父は言った。帰る時に押してもろうたんじゃ。 宇品で。
検査すんど。持ち物は。「判だけ押してもろうとけぃ。」言われて。

こうやって書いとれば、自分が読んで涙がでそうにもなる。 思うことを書いとんじゃけぃ。
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開封にて
夜汽車にて昔の大都・開封に着いた。
雄大なる建築物も、昔をしのぶ如く天を覆う。 無数の小塔が建つ。
民家からは煙がたち、吾等朝食をとる。
一帯は、塩田を見る。 本日は吾が八幡神社の祭りだ。
車中にて
1939年10月1日 2001年9月2日
談・あのところにゃ、塩田があった。2001年9月2日
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青島にて
建ち並ぶ西洋建築。
大国租界は青き緑風。
実に風景明媚な所だ。街道の緑樹は秋風になびき、戦地の跡も何物も認めず、ただ内地のような感じがした。
自動車にて病院へ行く。内地以上に設備は完備されている。国防婦人会、学校生徒のかいがいしい奉仕の姿に、病者たちも嬉々として全快におもむいていくだろう。 海岸に出る。○○艦の勇姿、青島湾を圧している。頼もしき限りなし。
日章旗等軍旗が海上にたなびき、躍進日本の姿が目に映ずる。わが国の威力が輝いているようだ。 米国兵の水兵の姿、じつにはでやか。ちょうど芝居に出る水兵のようだ。
その姿は輝き、人形のような感じがした。 大道を闊歩する外国人の姿、緑の街路樹に立ち並ぶ洋風の家に一層の精気を増す。 薫り高き良き眺め、保養地としては第一番だろう。実に美しい。 初めて見る、また最後の眺めかもしれない。明日は出発の日だ。今宵が支邦大陸での最後の夜だ。
今は消灯のラッパが響いている。友も床につく。電灯も消える。
上陸以来一年六ヶ月。 過ぎた戦場の思い出が夢のようにほとばしる。
(1939)10月七日夜九時三十分。
談・2001年9月2日
チンタオはけっこうなとこじゃ。それじゃけい書いとるんじゃった。なんやかんや完備されとった。
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青島にて・その2
国際良港都市、青島港をながめつつ船は海上をすべる。
鴎の群れが飛ぶ。 艦上の水蒸気も海の彼方へ消えた。
港湾の出入りの船はみな我が国だ。外国の船は○○艦のみ。
1939・10・8午後二時
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支邦大陸よさらば
昨年五月、勇躍支邦大陸の戦線に参加。
火を噴く徐州殲滅戦に参加、 炎熱の戦闘に、討伐に。 黄河決戦、濁流と戦い
雨天になやまされつつ信用攻撃、大別の剣さな山を越え漢口攻略戦。
悪風をつく平和の為に、日本平和の新秩序建設の為に、東洋永遠の平和の為に。
一億一心。軍務まい進。
今日は○○艦に乗り、青島港を出港しつつある。
岸壁に立ち並ぶ兵、日章旗を眺めつつ、轟々と音は三度鳴る。
エンジンの音と共にいついしか自分は甲板上に立つ。
遥か去らんとする青島を、いや支邦大陸を眺めていた。
青き瓦、煙突。広壮な建物くっきりと天に聳えて、保養地青島は一層はなやか。
船はは静かにブイを離れた。
小型の日章旗が人の波を跡にする。
おお、支邦大陸よいざさらば。
1939年10月8日
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玄海灘で
青島沖
船は進む海上の彼方へ彼方へ。 湾内に浮かぶ艦船も過ぎ、波を蹴る。
東方の青い半島には高き砲台が湾上を睨んでいるのが見える。高き日章旗が森林の中に聳えている。 青島を次第に遠のく。船は一路目的地へ、目的地へ。青き海上をすべって行く。
南風顔をなぜながら、希望に輝く若人達よ元気に。
1939年10月8日
六時三十分。全く大陸の姿は見えない。
黄海
薄き船上のもや、水平線の彼方より丸き太陽が出る。
船は突き進む。明日は玄海灘であろう。 海上に浮かぶクラゲ・魚群が目に入る。 船は一路東へ、東へと進む。 実に平静な波だ。
10月9日朝八時。黄海海上にて。
斎州島沖
洋上の彼方へ彼方へと白波を蹴り進む。
小さきうねり、船もかすかに動く。 水平線の彼方に島が目に映ずる。
朝鮮島だろう。 水魚がはなつ黒き海、清き漣のしぶき。
戦友の十八番の浪花節を聞く。
対馬沖を通過する
松だ。松だ。なつかしい。
家・丘の姿もなつかしい。見事だ。
青き山、白き灯台。
内地へ近づきつつあるのだ。
船は一路関門へ、関門へとつづく。
1939年10月10日 午後三時30分。対馬沖にて。
vbvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvv
万歳の声
あくれば11日夜。
故郷の島が見える。思わず拍手喝采。 日本の工業地帯だけあり数十本の煙突が高く突出して見える。実にめざまじい様子の感がした。 九州北部の工業都市、夜も黒鉛を吐く。
12日。
船はいよいよ関門海峡通過だ。 陸地より”万歳、バンザイ”の連呼の声。しかし、うなだれつつ感謝するのみだ。 船は次第に通過して内海へと進む。 内海の白帆の漁船も何処へかすべっている。
本日は内海で夜を明かすのだ。
10月12日
vvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvv
宇品へ上陸
九時三十分より検問実施。 内地の土地。
重き足を引きずり、一歩一歩歩くとき、しみじみ戦友のことが思われる。亡き戦友のことが実に寂しい。
亡き戦友の事を思い感慨無量。さみしい限りなし。・凱旋に一目・・・・
作戦の為の一時帰還だろう。
しかし内地の土はなつかしい。
10月13日一時三十分。
いよいよ本邦の土を踏んだのだ。
午前八時、れんぱ船に乗る。 乗船して陸地に向かう。 一歩なつかしの土を踏みしめる。 実に感無量のものがある。 一歩一歩大地を踏みしめて宇品へ上陸、兵舎へ向かう。 間道は、女生徒・婦人会・格団体から歓呼して迎えられ。
しかし、として、ただただうなだれつつ答えるのみ。 何のしゃべることも、感激の涙もでない。
実にくやしい、口にはつくりえない感じだ。
ああ我は凱旋日だ、帰還だ、一時帰還だ。
10月13日午前9時。
談・2001年9月2日
「宇品からは船に変わりに外地出征する人がいた。それで一時帰還じゃろうと、思うとった。」
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作者補足
この「父の従軍日誌」は、昭和13年・14年父が20・21歳の時のものです。まだ大東亜戦争開戦の前ですが、国内は軍事一色になりつつある時代。
田舎の青年が戦場での休息時・・・いくらか気持ち・時間に余裕を感じた時に野帳に・・・記録したものです。このページ作成方法は、その60余年前の野帳を前に、書いた本人・父に読んでもらいテープに録音したものです。 作者本人の聞き間違い・意味不明も多々あり、書いた父本人があまりの過去の為と戦場での記録のため字体が乱れ読み取れなく。結果として複製には誤りがあるのも事実です。 作者が目的とした、その時代の一兵士の時代背景・心情はいくらか達成できているのではないかと思います。なお父は昭和14年帰国15年除隊後、終戦までの間以後二回の赤紙召集を受けたが外地に出ることなく、内地勤務で終戦を向えた。


2001年9月2日
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