満州国は「五族協和」「王道楽土」がスローガンであったが、
それは勝手に日本が掲げた旗印であり、”和族楽土”で移民を奨励したことでも証明される。
中公新書「日中十五年戦争史」大杉一雄薯、より転記する。
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日本が「満州国」という国家を独立せしめ、つづいて清朝最後の皇帝を擁立したので満州族(漢民族でなくツングース族)が大多数を占める民族国家と理解されがちであるが、まったくの誤りである。
当時満州の人口は約三千万人といわれたが、その九割、二千七百万弱は漢民族であり、満州族は二百万たらず、その他朝鮮民族百万、日本人二十万、ロシア系十万で、満州族は一割にも満たなかった。
満州族は中国本土で清朝を開きてから、民族移動を行い漢民族と同化し、彼ら固有の言語、文字は忘れ去られた。
満州の奥地で、小さな集団をつくって狩猟をしていただけである。
それは勝手に日本が掲げた旗印であり、”和族楽土”で移民を奨励したことでも証明される。
中公新書「日中十五年戦争史」大杉一雄薯、より転記する。
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日本が「満州国」という国家を独立せしめ、つづいて清朝最後の皇帝を擁立したので満州族(漢民族でなくツングース族)が大多数を占める民族国家と理解されがちであるが、まったくの誤りである。
当時満州の人口は約三千万人といわれたが、その九割、二千七百万弱は漢民族であり、満州族は二百万たらず、その他朝鮮民族百万、日本人二十万、ロシア系十万で、満州族は一割にも満たなかった。
満州族は中国本土で清朝を開きてから、民族移動を行い漢民族と同化し、彼ら固有の言語、文字は忘れ去られた。
満州の奥地で、小さな集団をつくって狩猟をしていただけである。