しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

「露営の歌」~死んで還れと励まされ

2021年08月15日 | 昭和の歌・映画・ドラマ
笠岡市西本町のの古刹・威徳寺に生まれた音楽評論家長田暁二さんは、”露営の歌”は
「軍国歌謡の最大傑作の一つと称された」と記述されている。

管理人が幼いころ、戦争は終わっていたが、近所の年上の男の子は「勝ってくるぞと勇ましく」と歌いながら遊んでいた。
よほど大ヒットし、国民の愛唱歌となっていたのだろう。

映画やテレビでも、村の神社や駅や港での出征兵士を送るシーンでは、決まったようにこの歌が画面に流れる。





「太平洋戦争下の学校生活」  岡野薫子 平凡社 2000年発行
※著者は昭和4年(1929)生まれ。

露営の歌


提灯行列も旗行列も、子どもにとっては、お祭りに似た面白い行事だった。
出征兵士は神社で武運長久を祈ってから、駅で電車に乗る。
この時、
駅頭で決まって歌われるのが、『露営の歌』だった。


勝ってくるぞと勇ましく・・

勇壮というよりは悲壮だ。
二番以下の歌詞になると,歌詞そのものにも悲壮感がみなぎってくる。
そのためかどうか、一番の歌詞のみ繰り返し歌っていた。 

ちなみに四番と五番は、

思えば今日の戦いに

戦する身は予てから

一緒によく歌ったもう一つの軍歌は、
『日本陸軍』

天に代わりて不義を討つ 

出征兵士の見送りに小学生がぞろぞろついていくことは、特別な時以外、次第に見られなくなった。
特別な、というのはその小学校の先生の応召の場合である。
つまり、それだけ出征は日常的になってきていた。
普通の出生は、家族と近所の人たちの見送りだけで、あとは、
かっぽう着にたすきをかけた国防婦人会の人たちが、線路際に並んで、日の丸の小旗を振る程度になった。
電車はあっという間に走りすぎてしまう。
出征兵士が、普通の乗客と同じ電車に乗っていくことが、子どもの私には不思議でならなかった。






「昭和の戦時歌謡物語」 塩澤実信  展望社 2012年発行

露営の歌

支那事変は、
「暴戻支那の膺懲」が合言葉であった。
連日新聞の紙面は戦争記事で埋められ、”暴支膺懲(ぼうしようちょう”の強硬論で統一された。
新聞の戦争支持ぶりは熱狂的であった。

支那事変から大東亜戦争の間に、最も愛唱されたのが「露営の歌」。
歌詞は一番から終番まですべてに「死」の影が揺曳していた。

露営の歌  作詞:薮内喜一郎  作曲:古関裕而


勝って来るぞと 勇ましく
ちかって故郷(くに)を 出たからは
手柄たてずに 死なりょうか
進軍ラッパ 聴くたびに
瞼に浮かぶ 旗の波

土も草木も 火と燃える
果てなき曠野 踏みわけて
進む日の丸 鉄兜
馬のたてがみ なでながら
明日(あす)の命を 誰が知る

弾丸(たま)もタンクも 銃剣も
しばし露営の 草まくら
夢に出てきた 父上に
死んで還(かえ)れと 励まされ
醒(さ)めて睨むは 敵の空

思えば今日の 戦闘(たたかい)に
朱(あけ)に染まって にっこりと
笑って死んだ 戦友が
天皇陛下 万歳と
残した声が 忘らりょか

戦(いくさ)する身は かねてから
捨てる覚悟で いるものを
ないてくれるな 草の虫
東洋平和の ためならば
なんの命が 惜しかろか


東京日日新聞の「進軍の歌」懸賞募集の第2席の詞について選者の一人北原白秋が、
「優れている、もし曲がつくなら」と発表された。

満州から帰途の船内で古関裕而は依頼の電報を受けた。
山陽線の各駅ですでに見られた光景で、武運長久の旗をなびかせたり、日の丸の旗をふるリズムの中で、
ごく自然に作曲してしまった。
十五年戦争下の最高の傑作とされる「露営の歌」は、発売二か月後、前線の兵士が合唱する風景が夕刊に報道された。




(岡山駅)



「千田学区地域誌」 福山市千田学区町内会  2008年発行

召集と出征
体験・男性 大正15年生れ

 
突然、赤紙が届きました。
入隊に際しては、町内の人々や婦人会の方々など大勢の見送りで、壮行会をして頂き、私は次ような挨拶をしたのを思い出します。
「男子の本懐、これにすぐるものはございません。
入営した暁には、一意専心、軍務に勉励し、皆さまの万分の一にも報いる覚悟でございます。
皆さま方におかれましても、銃後の守り、よろしくお願いします。
”今日よりは顧みなくて大君の醜の御楯と出立つ吾は”
では、行って参ります。」
昭和20年初め、19歳で大坂の聯隊に入営する前日、日の丸の旗を振りながら、
福山駅まで坂田の方の見送りを受けました。

私は家族と隣人たちに「武運長久」の寄せ書きをしてもらった日の丸の旗を肩にかけて出発しました。
福山駅では、出征する仲間が多くいて、日の丸の旗がうちふられ、
「天に代わりて不義を討つ忠勇無双の我が兵は・・・」
「勝ってくるぞと勇ましく 誓って国をでたからにゃ 手柄たてずに死なりょうか・・・」
の大合唱。
大勢の見送りを受けました。
ぼくの姿を見つめていた母の姿が思い出されます。
息子を戦場へ送る母が、人前で泣くのは許されなかった時代でした。






「戦争が遺した歌」 長田暁二 全音楽譜出版社 2015年発行

露営の歌

日支事変が勃発すると各新聞社等のマスコミは挙って,沢山の時局歌・愛国歌を募集選定した。
「露営の歌」は毎日新聞の公募入選2位の作品。
北原白秋が「2席に上手く曲が付けば第二の「戦友」になるとコメントしていた。
古関裕而が作曲、
コロンビアの第一線男性歌手を総動員、中野忠晴、松平晃、伊藤久男、霧島昇、佐々木章が歌唱、大衆は飛びつき発売後半年で60万枚を売るレコード界の新記録を作る大ヒットになった。
軍国歌謡の最大傑作の一つと称された。
「死んで帰れと励まされ」の文句に人気が出て仕舞ったのである。


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