しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

「支那の夜」

2021年08月06日 | 昭和の歌・映画・ドラマ
戦争や大陸ブームで、兵士や一般人が中国に住んでいたので昭和14年、15年ごろ中国を舞台にした歌や映画がブームになった。
中国の美女が日本の男性に恋するのは、映画の世界だけだろう。プロパガンダ映画の感じが強い。




「従軍歌謡慰問団」 馬場マコト 白水社 2012年発行

「前線ものではなく、なにか新しい音楽分野をぜひ生み出したいのですが」、
相談された西條八十は、漢口陥落待ちで上海のホテルにいた日々を思い出していた。
戦争当事者は血相を変えて、戦いを進めているが、多くの大衆はこの戦争に喪失感を抱いているのではないか。
八十は原稿用紙に「支那の夜」と記すと想いを書き出した。

シナの夜 シナの夜よ
港の灯 紫の夜に
上るジャンクの 夢の船
ああ忘られぬ 胡弓の音
シナの夜 夢の夜

シナの夜 シナの夜よ
柳の窓に ランタンゆれて
赤い鳥かご シナ娘
ああやるせない 愛の歌
シナの夜 夢の夜

シナの夜 シナの夜よ
君待つ宵は 欄の雨に
花も散る散る 紅も散る
ああ別れても 忘らりょか
シナの夜 夢の夜

竹岡信幸が作曲し、渡辺はま子が歌う「支那の夜」は1938年12月発売された。
戦争相手国のことを歌って売れるわけがないという、コロンビア営業の判断でB面にまわされ、積極的な宣伝も行われなかった。
しかし年明けと同時に、「支那の夜」は爆発的な売れ行きを記録した。
軍部が一方的に仕掛けた戦争に、理不尽さを感じる大衆の感情を嗅ぎ取った、八十ならではの感覚の勝利だった。

「コロンビア音楽慰問部隊」はチャイナ・メロディという新しいジャンルを生み出した。
以後、渡辺はま子は西條八十作詞、服部良一作曲の「蘇州夜曲」や「何日君再来」など、中国シリーズをヒットさせ、チャイナ・メロディの女王となった。
それを追うように「上海の花売り娘」「チャイナ・タンゴ」と1939年の歌謡界は戦争相手中国を歌うチャイナ・メロディと東海林太郎の歌う中国進軍歌で埋め尽くされた。



(Wikipedia)
『支那の夜』(しなのよる)は、流行歌「支那の夜」のヒットを受けて、1940年(昭和15年)に作られた日本映画である。

概要
東宝の看板スター・長谷川一夫と満洲映画協会(満映)の看板スター・李香蘭との共演による「大陸三部作」(『白蘭の歌』『支那の夜』『熱砂の誓ひ』)の2作目。

渡辺はま子の歌う「支那の夜」がヒットしていたことから、東宝映画(現在の東宝)が映画化を企画し、中華電影公司の上海ロケの撮影協力を得て制作された。

上海を舞台に、長谷川一夫扮する日本人貨物船船員・長谷哲夫が李香蘭扮する中国娘・桂蘭を救い、二人の間に恋が芽生えるというストーリーである。
メロドラマ・音楽映画・ハリウッド映画・アクション映画・観光映画といった様々な要素を持つ複合型娯楽映画で、中国大陸への関心が高まっていた時期だった事もあり、各地で興行記録を更新。
「今年度日本映画第一のヒット」と評価される人気作となった。
この映画に主演した「李香蘭」こと山口淑子は、第二次世界大戦の終戦後、中華民国政府により文化漢奸(売国奴)容疑で逮捕されたが、裁判で中国人でないことが証明され、無罪となり国外追放となった。
その判決で裁判長から道義上の問題として、中国人の芸名で『支那の夜』など一連の映画に出演した事を問題にされ、山口は謝罪している。







支那の夜

李香蘭の「キネマ旬報」での広告には、
「満州生粋の絶世の美人スターとして全満の人気を独占している李香蘭が、長谷川一夫の相手役として登場・・
芳紀正に20歳、嘗て全満に号令した奉天市長を父に持つ名門の出、
長じて北京の日本人学校に学んだため、日本語も流暢・・・」と、紹介されていた。
彼女は生まれこそ満州だったが、生粋の日本女性だった。
傀儡国家満州を建国しつつあった上層部は甘粕正彦が牛耳る満州映画協会が、スターに仕立て上げたのだった。
西條八十の詩に、服部良一が旅行した杭州の西湖でひらめいた曲想を巧みにのせた。

「昭和の戦時歌謡物語」 塩澤実信  展望社 2012年発行



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