しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

古城山公園の「満洲開拓殉難碑」

2020年07月09日 | 「笠岡市政だより」から
満洲移民には義勇軍(土の兵士)や分村による開拓団、事業家など。
ソ連が参戦後は難民化し、生き残った人は無一文で帰国した。

古城山にある碑は昭和38年に除幕した。


(右が「満州開拓殉難碑」、左は浩良大島開拓団の慰霊の碑 2020.7.2)


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笠岡市報NO.116 昭和38年9月30日


古城山公園に 満洲開拓殉難碑 秋分の日に除幕式


戦時中に市内大島地区や浅口郡などから満州開拓団として移住し、現地で死んだ人たちの霊を慰める「開拓碑」が、
このほど古城山公園忠魂碑わきにできあがり、秋分の日の9月24日、遺家族や関係者が集まって除幕式がおこなわれました。
この碑は昨年8月に結成された拓友会と満州開拓殉難碑建設委員会(委員長・笠岡市長)によって、有志に呼びかけ募金した一般寄付や県、市補助金の40万円で建てられたものです。
碑の高さは土台を含め約4m、まわりに石垣をめぐらせ、市は大飛島産を使い、正面に当時の岡山県知事だった横溝光輝氏の書いた「開墾碑」の三文字が刻まれています。
除幕式のあと、遺族や関係者たちは、当時の開拓団の労苦をしのびながら、慰霊祭をいとなみました。


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