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しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

中江藤樹

2025年04月24日 | 銅像の人

場所・愛媛県大洲市大洲「大洲小学校」

 

近江聖人・中江藤樹は近江の人であるが、伊予大洲の人でもある。
大洲市内には多くの立像や胸像等が建っていて、大洲市民が郷土の偉人として大切に思っていることがよくわかる。

 

 

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Web【愛媛県生涯学習センター】


中江藤樹 (1608~1648)

儒学者
我が国の陽明学の始祖。

近江国高島郡小川村(現、滋賀県高島市)出身。
通称は与右衛門。
9歳のとき、米子藩主・加藤貞康の家臣であった祖父の養子となり、その翌年、藩主の領地替えに伴い喜多郡大津(現、大洲市)へ移住した。
祖父の死により家督を相続して15歳で大洲藩家臣となり、独学で朱子学(人を敬うことを忘れず行いを慎んで人格完成しようとする実践道徳)を学んだ。
27歳のとき、郷里に住む母への孝養と自身の持病とを理由に、藩士辞職を願い出るが許可されず、脱藩して近江に帰り、酒の小売業で生計を立てながら学問に専念した。
 藤樹は、朱子学の教える礼法を厳格に守ろうとしたが、やがて形式的な礼法の実践に疑問を抱くようになり、道徳的な形式よりも精神の方が重要であるとして、
「時・処・位」の具体的な条件に応じた適切な正しい行動をとること、またその状況に応じた正しい行動の在り方を自主的に判断する能力を持つことにこそ学問の目標があるとする、
自由な道徳思想を唱えた。
これは、朱子学の道徳思想を日本社会に適応させようとした藤樹独自の思想である。
後に『陽明全集』を手に入れてから「知行合一」を基とする陽明学を研究するようになり、我が国の陽明学の始祖となった。
自宅に藤の木があったことから門人に「藤樹先生」と呼ばれた。

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訪問日・2025年3月31日

 

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