両墓制
岡山県や広島県では、(おそらく他県も)
墓地の墓石は、よくみると江戸時代の享保以前のものはほとんどない。
庶民の墓は江戸後期から建てるようになったのだろう。
それ以前は風葬・鳥葬のように、奥山に棄てられたのだと思える。
棄てるから埋めるに変ったのがお墓で、人は土葬された。
笠岡市近辺では昭和60年頃まで土葬がつづいた。(伝染病以外)
火葬が普及しなかった最大の理由は多大な労力が必要だったから。
火葬場の登場と共に火葬になった。
笠岡市から土葬が無くなったのは昭和62年に「井笠広域斎場」が完成してから。
土葬が無くなってから家族(一族)墓に変っていった。
今は墓石を建てない人もいたり、犬猫に墓石を建てたり、人さまざま。
(香川県志々島)
日本のところどころに「両墓制」というのが残っている。
近くでは塩飽諸島の佐柳島や高見島や志々島がよく知られる。
2025年5月13日志々島を訪れた。
志々島は香川県三豊市詫間町志々島で、人口は約20人。
明治・大正時代は1.000人前後いて農漁業で栄えた島。
その当時に亡くなられた人は土葬された「埋め墓」と、
お詣りするための「詣り墓」
と二つの墓を設けていた。
これが志々島の「埋め墓」。海岸沿いにある。
詣り墓はお寺にある。
お寺は無住職の寺院でなく、今は廃寺になっている。
志々島は瀬戸内海にある美しい小島だが、
空家も廃家になり日本の近未来を想像させる現実があった。
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