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しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

爆弾三勇士

2017年12月27日 | 昭和元年~10年
小学生頃、
運動会の時期に、母は決まったように「爆弾三勇士」競技の話をしていた。
母にとって運動会を代表する、思い出か競技だった。

日本軍、特に陸軍は明治より「一太郎」「木口小平」等、作り話が好きだったようだ。

ところで「東山神宮」とは何処のことだろう?玉井宮東照宮かな?
「表忠塔」とは?・・・辞書からも消えている!


岡山の女性と暮らし「戦前・戦中」の歩み 岡山女性史研究会編・発行山陽新聞より転記する。
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つくられた軍神「肉弾三勇士」

昭和7年2月、上海事変勃発二ヶ月後
鉄条網爆破のため三人の兵士が、点火した破壊筒を抱えて突撃し爆死した。
全員22歳の若者であった。
陸軍は「覚悟の自爆」と発表し、早速「軍神」として顕彰する意向をしめした。
しかし三人の死は、爆死発表直後から技術ミス、事故死説があった。

前年から「三勇士」映画会などを行ってきた岡山市では、市内小学生17.000人の献金活動により、東山神宮奉斎殿前に「爆弾三勇士表忠塔」が建てられ、除幕式が実施された。
翌年の東京芝青松寺の三勇士像にさきがけるもので、荒木陸相の筆であった。
小学生代表300人が参加し「爆弾三勇士の歌」が合唱された。
1周年記念日には、全市内児童は三勇士が一斉突撃した午前5時に徒歩行進して表忠塔に参拝した。
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