ケンペル「江戸参府旅行日記」 訳者・斎藤信 東洋文庫 昭和52年発行
第10章 京都から浜松までの旅
1691年(元禄4)3月
3月6日
夜明けと共に宮を立ち、陸路を7里先の岡崎まで行って、そこで昼食をとった。
通り過ぎた村々は、
一・笠寺
二・鳴海

(桶狭間合戦場跡)
三・有松

(東海道五十三次40・鳴海宿)

(有松)
四・今川
五・池鯉鮒(今日は知立と書く)

(東海道五十三次39・知立宿)
岡崎は立派な町で、町には1500の家があり、大部分は立派であった。
城は丘のうえにあり、西南には天守閣が堂々と聳え立っていた。

(岡崎公園)
矢作川が流れ、川幅は広く水量は多いが浅くて舟は通れない。

(岡崎公園)

(東海道五十三次38・岡崎宿)

(東海道五十三次37・藤川宿)
午後からは赤坂までの道を進んだ。
赤坂は立派な家が立ち並び、きれいな宿屋のある町筋から成っている。

(東海道五十三次36・赤坂宿)

(赤坂宿の大橋屋)
家の中にめかした娼婦がかなりいるのに出会った。
旅館にはそういう女が大変多くいて、客をとらねばいけないのである。
けれども料理旅館では給仕女は幾らかは態度がよいという。

(赤坂宿の尾崎屋)
3月7日
痛風の通詞のため、八時半にようやく出発することができた。
7里先の新居で昼食を取り、4里先の浜松で泊った。
御油は約300戸、

(御油の松並木)

(東海道五十三次35・御油宿)
国府は約150戸、
下地は100戸、
吉田に入った。

(吉田城)
約1.000戸ほどの粗末な家があり、貧しい人たちが住んでいる。
町の東北側に城があり、三方は堀と土塁で防備され、一方は流れる豊川で守られている。
ここから5里の新居までは、大きな町も村もなかったが、世界中で非常に美しい山、
富士山が初めて見えた。

(東海道五十三次34・吉田宿)

(東海道五十三次33・二川宿)

(東海道五十三次32・白須賀宿)

(新居関所)
新居は、すべての旅行者、
とりわけ大名の荷物が、幕府から任命された役人によって検査される。
大名の夫人が夫人がそっと通り抜けたり、銃や武器の類が密かに運ばれるのを防ぐためである。
夫人についていうと、将軍の人質として留めておかなければならない。

(東海道五十三次31・新居宿)
われわれの荷物は別に開きもせず、ちょっと見ただけであった。
検査が終わってから、役人は丁重にあれわれを迎え、将軍家の遊船で対岸の舞阪の村に着いた。

(浜名湖を通過する東海道本線・東海道新幹線)

(東海道五十三次30・舞阪宿)

(舞阪)

(舞阪の松並木)
舞阪で新しい馬に乗り、夕方遅く浜松に着いた。

(東海道五十三次29・浜松宿)

(現在の東海道・浜松本陣跡ふきん)
浜松は数百の粗末な家がある町で、道路は整っていた。
町の中央の北側には、城壁に囲まれた城が見える。

(浜松城)

(浜松の中田島砂丘)
第10章 京都から浜松までの旅
1691年(元禄4)3月
3月6日
夜明けと共に宮を立ち、陸路を7里先の岡崎まで行って、そこで昼食をとった。
通り過ぎた村々は、
一・笠寺
二・鳴海

(桶狭間合戦場跡)
三・有松

(東海道五十三次40・鳴海宿)

(有松)
四・今川
五・池鯉鮒(今日は知立と書く)

(東海道五十三次39・知立宿)
岡崎は立派な町で、町には1500の家があり、大部分は立派であった。
城は丘のうえにあり、西南には天守閣が堂々と聳え立っていた。

(岡崎公園)
矢作川が流れ、川幅は広く水量は多いが浅くて舟は通れない。

(岡崎公園)

(東海道五十三次38・岡崎宿)

(東海道五十三次37・藤川宿)
午後からは赤坂までの道を進んだ。
赤坂は立派な家が立ち並び、きれいな宿屋のある町筋から成っている。

(東海道五十三次36・赤坂宿)

(赤坂宿の大橋屋)
家の中にめかした娼婦がかなりいるのに出会った。
旅館にはそういう女が大変多くいて、客をとらねばいけないのである。
けれども料理旅館では給仕女は幾らかは態度がよいという。

(赤坂宿の尾崎屋)
3月7日
痛風の通詞のため、八時半にようやく出発することができた。
7里先の新居で昼食を取り、4里先の浜松で泊った。
御油は約300戸、

(御油の松並木)

(東海道五十三次35・御油宿)
国府は約150戸、
下地は100戸、
吉田に入った。

(吉田城)
約1.000戸ほどの粗末な家があり、貧しい人たちが住んでいる。
町の東北側に城があり、三方は堀と土塁で防備され、一方は流れる豊川で守られている。
ここから5里の新居までは、大きな町も村もなかったが、世界中で非常に美しい山、
富士山が初めて見えた。

(東海道五十三次34・吉田宿)

(東海道五十三次33・二川宿)

(東海道五十三次32・白須賀宿)

(新居関所)
新居は、すべての旅行者、
とりわけ大名の荷物が、幕府から任命された役人によって検査される。
大名の夫人が夫人がそっと通り抜けたり、銃や武器の類が密かに運ばれるのを防ぐためである。
夫人についていうと、将軍の人質として留めておかなければならない。

(東海道五十三次31・新居宿)
われわれの荷物は別に開きもせず、ちょっと見ただけであった。
検査が終わってから、役人は丁重にあれわれを迎え、将軍家の遊船で対岸の舞阪の村に着いた。

(浜名湖を通過する東海道本線・東海道新幹線)

(東海道五十三次30・舞阪宿)

(舞阪)

(舞阪の松並木)
舞阪で新しい馬に乗り、夕方遅く浜松に着いた。

(東海道五十三次29・浜松宿)

(現在の東海道・浜松本陣跡ふきん)
浜松は数百の粗末な家がある町で、道路は整っていた。
町の中央の北側には、城壁に囲まれた城が見える。

(浜松城)

(浜松の中田島砂丘)