しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

六高生

2021年03月19日 | 銅像の人
場所・岡山市中区駅元町  岡山駅前広場


岡山駅前の六高生。




日本の将来を担う若者に、ずいぶん岡山市民も好意的に、また学校を誇りに思っていたようだ。
学校は学問も行動も割と自由だった。


有名な話は、永野6兄弟の永野重雄さん(富士製鉄社長・日商会頭)
柔道部の人で、市中で巡査ともめたさい、その巡査を旭川に投げ込んだ。

しかし事件にもならず卒業して東大に進んでいる。







六高は広島市との争奪戦で設置できたが、
その後、ほぼ各県に高校(ネームスクール)が創立された。
しかし戦前では、最終学歴よりも卒業した高校を重視した社会であったようだ。





撮影日・2013年10月14日


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四高生

2021年03月19日 | 銅像の人
場所・石川県金沢市広坂  石川四高記念館

戦前の日本の最高エリートコースである、ナンバースクール→帝大。
そのナンバースクールは、だいたい同時期に設立されたのかと思っていたが、ずいぶん年度差があった。






(Wikipedia)

一高 第一高等学校 1886年(明治19年) 東京都
二高 第二高等学校 1887年(明治20年) 仙台市
三高 第三高等学校 1886年(明治19年) 京都市
四高 第四高等学校 1887年(明治20年) 金沢市
五高 第五高等学校 1887年(明治20年) 熊本市
六高 第六高等学校 1900年(明治33年) 岡山市
七高 第七高等学校 1901年(明治34年) 鹿児島市
八高 第八高等学校 1908年(明治41年) 名古屋市

北海道にはない、
福岡にないが九州には2校ある。







「石川県の歴史」 山川出版社 2000年 発行

明治20年の四高(第四高等中学校)創設は、県民に誇りを植えつける大きな契機となった。
前年公布された「中学校令」による高等中学校の設立は、全国でわずか五校にすぎなかったからである。
この背景には、専門学校および医学部がすでに設置されていたことを前提として、前田家の寄附も含め、
県をあげての猛烈な誘致運動があった。
そうして文部大臣森有礼の臨席を得て、10月開校式が盛大に祝われた。
なお、25年には広坂通りに赤煉瓦の本館・校舎も建設され、以後「学都」金沢のシンボルとなった。
(「四高八十年」)





撮影日・2016年2月2日



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貫一お宮

2021年03月19日 | 銅像の人
場所・静岡県熱海市   
制作・館野弘青
設置・昭和51年


貫一お宮之像

明治30年から新聞に連載された尾崎紅葉作「金色夜叉」の主人公。
演劇・映画・流行歌にとりあげられ大ヒットとなった。
追いかけて許しを乞うお宮を貫一がけりとばす熱海での場面が有名。

「日本の銅像」  金子治夫  淡交社  2012年発行




森繁久彌が元気なころ、「金色夜叉」をテレビで歌っていた。


〽熱海の海岸 散歩する
貫一お宮の 二人連れ
共に歩むも 今日限り
共に語るも 今日限り



JR熱海駅で降りて、坂道を下って海岸線までいくと、そこに像は建っていた。





この像には衝撃を受けた。
暴力そのものだ。

今でいう、DVなんてものではない。
下駄で座った女性を強打している。
文学作品を銅像にしたというイメージが飛んでいった。



男性の怒りを像で表現した、というならいくらかわかる。
しかし、数少ない明治のエリート高校生がこうゆう犯罪のような暴行はしない。
歌詞のように気持ちにとどめる。







〽宮さん必ず 来年の
今月今夜 この月は
僕の涙で くもらして
見せるよ男子 意気地

〽ダイヤモンドに 目がくれて
乗ってはならぬ 玉の輿
人は身持が 第一よ
お金はこの世の まわり物




まあびっくりした銅像だった。






撮影日・2015年7月8日



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