場所・岡山県津山市院庄
母は、ほとんど歌をうたわない人だった。童謡も、民謡も、児童唱歌も、流行歌も。
その母が歌って聴かせたくれた曲が二つある。
青葉茂れる桜井の・・・「桜井の訣別」(楠木正成)
桜ほろ散る 院の庄・・・「忠義桜」(児島高徳)
どちらも天皇家の忠臣を歌っていて、学校教育が神国化していたのがうかがえる。
特に児島高徳は児島の人であり、津山での古事が曲となっていて、学校でも熱心に歌ったようだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/90/5311eb24ec2c7fd030d4759757d80962.jpg)
児島高徳はいったい何をした人なのか?
それを説明するのは歌がいちばん。
忠義桜
桜ほろ散る院の庄 遠き昔を偲ぶれば
幹を削りて高徳が 書いた至誠の詩(うた)がたみ
君のみ心安らかれと 闇にまぎれてただ一人
刻む忠節筆の跡 めぐる懐古に涙湧く
「天勾践を空しうするなかれ 時に范蠡なきにしも非ず。」
風にさらされ雨に濡れ 文字はいつしか消えたけど
つきぬほまれの物語 永久(とわ)に輝く花のかげ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/97/82c10c0b90eb13c3edae51ae2e2df20d.jpg)
戦前から児島高徳は史実がなく、実在も疑われていた。
戦後忠臣は、過去のものとして拒否されたり、忘れ去られていった。
今では岡山県人でさえ、その名も見ることも、聞くことも稀になっている。
撮影日・2008年4月20日
母は、ほとんど歌をうたわない人だった。童謡も、民謡も、児童唱歌も、流行歌も。
その母が歌って聴かせたくれた曲が二つある。
青葉茂れる桜井の・・・「桜井の訣別」(楠木正成)
桜ほろ散る 院の庄・・・「忠義桜」(児島高徳)
どちらも天皇家の忠臣を歌っていて、学校教育が神国化していたのがうかがえる。
特に児島高徳は児島の人であり、津山での古事が曲となっていて、学校でも熱心に歌ったようだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/90/5311eb24ec2c7fd030d4759757d80962.jpg)
児島高徳はいったい何をした人なのか?
それを説明するのは歌がいちばん。
忠義桜
桜ほろ散る院の庄 遠き昔を偲ぶれば
幹を削りて高徳が 書いた至誠の詩(うた)がたみ
君のみ心安らかれと 闇にまぎれてただ一人
刻む忠節筆の跡 めぐる懐古に涙湧く
「天勾践を空しうするなかれ 時に范蠡なきにしも非ず。」
風にさらされ雨に濡れ 文字はいつしか消えたけど
つきぬほまれの物語 永久(とわ)に輝く花のかげ
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戦前から児島高徳は史実がなく、実在も疑われていた。
戦後忠臣は、過去のものとして拒否されたり、忘れ去られていった。
今では岡山県人でさえ、その名も見ることも、聞くことも稀になっている。
撮影日・2008年4月20日