しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

和気清麻呂像

2021年03月09日 | 銅像の人
場所・岡山県笠岡市西大島



この像は終戦後すぐに学校から撤去された。
破壊するのは忍びないと、旧家の庭に隠すように埋められた。





その後、時が流れ学校に復旧さしてもいいのではないかという声が出るころ、
学校が統合されて元の学校はなくなった。

掘り出された像は、統合先の学校に建った。



和気清麻呂は天皇家を護った忠臣として、
戦前は楠木正成と並ぶ英雄だった。


多くの学校や公的な場所に銅像があったと思えるが、
その銅像は西大島と似て、撤去後破壊、撤去後隠す、のどちらかだっただろう。






学校に再び建った清麻呂は、再び”忠臣”で蘇ったかといえば・・・まったく違う。一言もない。
像の隣に建つ説明文を転記する。


和気清麻呂略伝
和気清麻呂は、日本の古代史の中で、
奈良時代から平安時代の転換期に活躍した人物です。
天平5年(733)備前国藤野郡(現和気町)に生まれました。
近畿地方の河川改修や開削を行って治水に努め、数多くの土木工事を行いました。
また、美作・備前国造として郡民の負担軽減を図るなど民生の安定と発展に努めました。
平安遷都は彼の立案であったことは有名です。




撮影日・2017年5月20日




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