高校の時、他校と掛け持ちの先生がいた。
体育の先生と音楽の先生。
体育の先生は同じ市内の高校だったが、音楽の先生は
「今日は次に寄島高校がある」と言っていた。
寄島町は県立高の場合、笠高・笠商・笠工が学区と思っていた。
どんな学校だったのだろう?
(寄島高校の手前記念碑、後方は体育館 写真は2015.2.3)
・・・・・・・・・・・
「寄島町誌」 寄島町役場 昭和42年発行
岡山県寄島高等学校
寄島町ほか二か町村組合立定時制高等学校。
この学校は女子のみを対象とした。
男子全部と女子の或る者は倉敷・金光・鴨方・笠岡・福山の各高校に入学する。
沿革
大正12年4月 寄島実科高等女学校認可(寄島西高小に併設)
昭和18年4月 岡山県寄島高等女学校に昇格、4年制となる。
昭和23年4月 学制改革により、岡山県寄島高等学校として新発足する。
昭和27年4月 寄島町・大島村・黒崎町組合立となる。
昭和28年4月 現在地に独立校舎を建築移転す。
昭和39年現在
職員 男10 女12 計22
生徒数 147
学級数 4
体育の先生と音楽の先生。
体育の先生は同じ市内の高校だったが、音楽の先生は
「今日は次に寄島高校がある」と言っていた。
寄島町は県立高の場合、笠高・笠商・笠工が学区と思っていた。
どんな学校だったのだろう?
(寄島高校の手前記念碑、後方は体育館 写真は2015.2.3)
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「寄島町誌」 寄島町役場 昭和42年発行
岡山県寄島高等学校
寄島町ほか二か町村組合立定時制高等学校。
この学校は女子のみを対象とした。
男子全部と女子の或る者は倉敷・金光・鴨方・笠岡・福山の各高校に入学する。
沿革
大正12年4月 寄島実科高等女学校認可(寄島西高小に併設)
昭和18年4月 岡山県寄島高等女学校に昇格、4年制となる。
昭和23年4月 学制改革により、岡山県寄島高等学校として新発足する。
昭和27年4月 寄島町・大島村・黒崎町組合立となる。
昭和28年4月 現在地に独立校舎を建築移転す。
昭和39年現在
職員 男10 女12 計22
生徒数 147
学級数 4