癌治療で入院するまで、私は老人という意識はほとんどありませんでしたが、化学治療や、放射線治療で、体力を削られ、なんとなく弱気になり、団体での山歩きは敬遠気味になりました、80歳を3か月後に迎え、体力の落ち込みと同時に、老人を意識せざるを得なくなってきました。
図書館でシナリオライター兼映画監督の新藤兼人さんの「100歳の流儀」。森繁久彌さんの雑談を、久世光彦さんがエッセイ風にまとめた「生きていりゃこそ」の2冊が隣り合わせにあったので、「参考になるかな」と読んでみました。
「生きていりゃこそ」は、森繁久彌語録集とか、思想信念人生観など伺い知ることが出来るのかと、期待していましたが、久世さんのエッセイ集といった感じに終わっています。「100歳の流儀」は新藤さんが亡くなられる直前まで、自分で筆をとられたエッセイ集だけに、大きな感動を受けました。
新藤さんは、社会派映画監督の第一人者でしたが、「竹山ひとり旅」の制作について、高橋竹山の三味線を聴いて感動したこと、あの音色はどうやって生まれたのか、竹山という人間を捉えたい、この動機からできた映画でした。
シナリオライターから、映画監督になったいきさつ、最初の同棲生活と死別、結婚・離婚、乙羽信子と同棲生活と病床での入籍など、新藤作品には、誠実さと情熱が強く感じられるが、このエッセイ集にも表れていました。
図書館でシナリオライター兼映画監督の新藤兼人さんの「100歳の流儀」。森繁久彌さんの雑談を、久世光彦さんがエッセイ風にまとめた「生きていりゃこそ」の2冊が隣り合わせにあったので、「参考になるかな」と読んでみました。
「生きていりゃこそ」は、森繁久彌語録集とか、思想信念人生観など伺い知ることが出来るのかと、期待していましたが、久世さんのエッセイ集といった感じに終わっています。「100歳の流儀」は新藤さんが亡くなられる直前まで、自分で筆をとられたエッセイ集だけに、大きな感動を受けました。
新藤さんは、社会派映画監督の第一人者でしたが、「竹山ひとり旅」の制作について、高橋竹山の三味線を聴いて感動したこと、あの音色はどうやって生まれたのか、竹山という人間を捉えたい、この動機からできた映画でした。
シナリオライターから、映画監督になったいきさつ、最初の同棲生活と死別、結婚・離婚、乙羽信子と同棲生活と病床での入籍など、新藤作品には、誠実さと情熱が強く感じられるが、このエッセイ集にも表れていました。