miyabuの雑記帳

ボケ老人の無責任なお話

跡絶たぬ欲深き人々

2017-08-28 | Weblog
無登録金融商品で数十億円を集め、社長逃亡なるニュースがあった。このような事件は数年おきに繰り返されているのに、月一割配当なる勧誘に安易に乗ってしまう強欲な人が跡を絶たない。「契約後順調に配当金が入っていたので安心していた、7月に入金が無かったのでどうしたのかと思っていたらこの始末だ、投資金額が一億になっていた」岐阜の某氏談話。欲に駆られて常識が吹っ飛ぶのか、月一割配当などあり得ない話ではないか。


介護保険や、医療保険、それに住民税も年々高くなっています。一方年金は年々縮小され、2か月毎に支給される年金から、これらの税金を自動的に差っ引かれるので、手取りでは万単位近い減少が現況です。半期に一度程度送られてくる、医療保険明細を見ても、自分が支払っている保険金よりも少ない金額で済んでいるし、晩期高齢者の私でも介護保険は使ったことありません。


それが年々増額されるのは、医療機関にも、介護保険査定にも問題があります、医療機関では延命治療者が居ないと経営が成り立たないと聴きます、天寿を尊重し意味のない延命治療は控えるべきです、また何の介護が必要なのかと思われる人が、若い女性に手を引かれてニコニコしながらケアバスに乗り込んでいます、趣味がなく退屈を持て余して介護保険を使っているのではと疑います。相対的に国民は行政機関に甘えすぎていませんか。


9月1日に市民団体主催の「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式」が開かれます。歴代東京都知事は追悼文を送っており、昨年は事務方が慣例的に、小池知事名で追悼文を出していたようですが今年は中止した、理由は「災害に付随した形で亡くなった人々は、国籍を問わず多かった事務方が慣例的に出していたことを後で知り、今年は私自身の判断で中止した」私見・・・いい判断ですいろいろな面で朝鮮人優遇措置は是正されるべきです。

72回終戦忌

2017-08-15 | Weblog
あれから72年が過ぎました、私は国民学校5年生11歳の夏でした、疎開者の私たち一家には田畑が無かったので、海や川、野山へ食糧確保に出かけるのが子供にとっても日常の習慣でしたが半分は遊びでした、当日も朝から近くの川に、手長エビやゴンドウ(川魚)を獲りに出かけて、冷えた体を堤防の石垣で温めているとき、警報解除のサイレンが鳴りました、何だろうなと思いながら帰途に就いたのが、玉音放送の後でした。


私たち一家が父の縁故をた依って、高知県の南端に疎開したのが昭和16年でした、小さな貿易商を営んでいた父が、まだ大阪も空襲にあっていない時点で早々に疎開に踏み切り、兄が高知市内の工業高校で軍需工場への学生動員で駆り出されていた程度で、父母兄弟身近な縁戚者にも死傷者がなく、食糧難以外に戦争の悲惨さを直接経験していません、食糧難と言っても海や山川の幸に恵まれた地でしたので、飢えに苦しむことはありませんでした。


占領軍がこの地に現れたのは9月頃でしたか、銃を構えた3人組みが家々を覗いて歩いていました、藁ぶき屋根の暗い屋内で、動いたら撃たれるんじゃないかと緊張している時、父が突然アメリカ兵に話しかけ、私が使っていた「肉弾3銃士」の文鎮を差し出し説明しながらプレゼントしました、突然英語で話しかけられた米兵たちもビクリしたようですが、説明を聞いているうちに緊張が解けプレゼントを受け取り笑顔で去ってゆきました、この時からアメリカ兵も普通の人間だと安心しました。


終戦記念日の今日、各新聞が特集を組んでいます、かっての日本兵の残虐非道を鵜の目鷹の目で探している気配が紙上から窺われます、中日新聞に掲載されていた、一人の民間人を情報漏洩を防ぐため上官命令で刺殺した話などは、取材記者が特ダネ賞を受けるのではないかと思われる意気込みで掲載されていました、日本兵がアジア諸国で残した美談を、紙上で見かけたことがありません、新聞社の自虐思想普及報道と言うべき状態は嘆かわしい限りです。


ニュースあれこれ

2017-08-10 | Weblog
五輪開催記念車両のナンバープレートのデザインが決まりました。色こそ多彩ですが海軍旗のデザインです。韓国の人達はこれを見て、火病の発作を起こさなければいいが。


五輪担当大臣になった、鈴木さんが政治活動費で使ったガソリン代が、3年間で1,412万円にもなっていると批判されています、地元秘書7人が毎日広い選挙区を走り回っていたら、一人月平均56,000円は、べらぼうなっ数字でもないだろう、しかし多少は個人的なものも含まれているのかな。


香港に対する中国政府の圧力が大きくなってきて、香港社会の軋轢からの逃避で、文化も言語も似通った台湾への脱出が急増しているようです。近い将来香港の特別扱いはなくなるでしょう。

象徴天皇の意味とは

2017-08-09 | Weblog

災害地の慰安訪問や、戦没地への慰霊訪問が、象徴天皇の重要な任務だと、平成天皇はお考えのようです。それならば靖国神社への参拝は欠かせない任務の一つになりますが・・・

敗戦後、国民の多くは腑抜けた状態に陥っていました、それを憂いた昭和天皇は、国民に活を入れるため、全国行脚を実行されました、占領政府の配下にあったとはいえ、昭和天皇の権威は少しも衰えていませんでした、天皇訪問の日程が決まった段階で、政府が一体となって動き、各県では道路の整備を始めとした環境整備で、一気に地方経済が活気づきました。

被災地を天皇が訪問すると言う事は、被災地の住民たちが、復興の促進に大きな期待を寄せることになるのです。それが出来ないのが現状ですから、動かない方がいいのです、政府が一体となって動かねば成就しません、平民と気安く付き合っていては有難味が無くなります、日本国の顔として雲の上に存在していてこそ国民の象徴です。

警報が解除されたる今朝の秋

2017-08-08 | Weblog
台風5号による、暴風、大雨警報が出ていましたが、幸いにも当地には確たる被害もなく、午前1時ごろには警報が解除され、今朝は、秋の匂いがする涼風が室内を通り過ぎています。台風一過の一時的な現象で、暦上は立秋ですが、暑さはまだこれからが本番です、エアコンの冷房よりも水風呂とシャワーで体調を整える方が夏らしくて気持ちがいいので、私は専ら水に頼って猛暑を凌いでいます。


さて天皇陛下の退位意向メッセージから1年が過ぎました、6月には退位の特別法も成立し、退位時期が年内にも公表されるようです。案の内容は、1・平成30年12月退位、新天皇即位、1月1日改元。2・平成31年3月末退位、新天皇即位、4月1日改元の両案が出ています。


今上天皇のメッセージでは「象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくことを念じる」となっていましたが、有識者会議では象徴天皇の在り方を次世代に強制しかねないとのことで、議論を放棄したと御厨氏が打ち明け同時に「上皇、天皇、皇嗣」の三代体制について掘り下げての議論がなかったことが気になると、心情を語っています。将来に禍根を残さないためには、上皇の役割をある程度規定することが私の持論です。

蒸気機関車の思い出

2017-08-07 | Weblog
大井川鉄道の蒸気機関車が、結構観光客を呼んでいるようです。私が社会に出たころは、東海道本線は蒸気機関車で、大阪から東京への出張は、夜行列車の旅でした、夜の8時ごろに乗り込み、朝の6時ごろに東京駅に着くのが通常でした。もちろん車内に冷房などない時代ですから、トンネルが近づくと、慌てて窓を閉めるのですが、車内に煙が侵入し煤煙のにおいが鼻を突きます。東京駅に降り立つと、まず駆け込むのが構内八重洲口側の地下にあったお風呂屋さんでした。顔も、鼻の穴も、煤煙ですすけたワイシャツも、入浴中にクリーニングが出来ました。


当時、日本の度量衡は尺貫法でしたが、全面的にメートル法に切り替える作業の追い込みの時期でした。国会にも何度か呼び出され説明をしていた通産省重工業局計量課の蒲谷課長に、進行状況を取材するのが主な目的でした、同時に都内の関係者をあわただしく回り、その日の夜行列車で帰省する東京出張でした。連夜煙に燻されていたわけです。半世紀以上も過ぎると、実用で蒸気機関車を利用していた人たちも少なくなり、蒸気機関車が観光事業で成り立つようになりましたが、私にとっては、吐き出す煙を見ただけで、鼻の穴がムズムズします。