miyabuの雑記帳

写真と雑記の復活

我が身辺のこの1年

2011-12-31 | Weblog
今年は、内外共に大変な年でした。我が身辺もつぎつぎと、事件の連続でした。昨年末トラックとの出会い頭衝突で、奇跡的に助かった事件が落ち着いた4月、悪性腫瘍発生の疑いによる、精密検査が始まり、7月に入院治療、同時に長男の妻の母親が死亡。八月退院2日目に、我が母親が死亡。


9月住宅団地内で、最も親しく付き合っていた友人が、心筋梗塞で突然死。10日後の10月、20年来の遊び仲間が死亡、彼の場合は、3日前病気見舞いをしていたので、大体覚悟していましたが、11月に死亡した同じ遊び仲間は、趣味の日曜菜園中の突然死でした。この二人の遊び仲間は、沖縄旅行や、北海道旅行、伊豆や箱根、小豆島等への旅行や、海釣、鮎つりなど、よく出かけた思いで深い仲間でした。


暮れも押し迫った、12月28日、最後のダメ押しのように、妻の母親が、この世を卒業しました。昨日30日八事の焼却場で、拾骨をしながら、この一年を思い返していました。八事の焼却場は、前日が友引だったので、大変な混雑でした。
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全国高校駅伝・女子豊川・男子世羅完勝

2011-12-25 | Weblog
全国高校駅伝が、京都西京極競技場発着で、25日午前と午後に分かれて開催されました。女子の部は、豊川高校福沢志穂さんの健闘よく、アンカーのマラソン留学生、ワイナイナに頼ることなく、2位の興譲館高校に、大きく差を付けて、ワイナイナにつなぎ、堂々の3勝目でした。2位興譲館、3位仙台育英、4位須磨、5位立命館。


男子の部は、世羅の優勝でした。3区で先頭から37秒差でタスキを受けた、マラソン留学生ディランゴが、2.6キロ地点で、早くも先頭の、九州学院を交わし、トップに立つと、4区大工谷、5区貞永、6区河名、7区箱田とそれぞれトップを堅持して、差を広げ、2位倉敷に1分以上の差をつけました。優勝タイムは、2,03,50でした。3位九州学院、4位西脇工、5位青森山田、6位豊川工、7位浜松日体、8位東農大二。
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戦前の辰年・年賀状展・江南民俗資料館

2011-12-15 | Weblog
明治25年・37年、大正5年、昭和3年・15年の辰年年賀状展が江南市民会館内の、歴史民俗資料館で、石黒三郎さんの資料提供によって、1月9日まで開かれています。

(写真はクリックしてください、大きくなります)

これは明治25年の年賀状ですが、この頃は、カレンダーが無く、1年間の略歴を年賀状に付けるのが、喜ばれました。挨拶文は「新年のお喜び、めでたく申し述べます。昨年はご厚情に預かり感謝いたします。今年も、なを一層お引き立てくださいますようお願いいたします。」、「感謝奉候、懇願奉候、かんしゃたてまつりそうろう、こんがんたてまつりそうろう、」で味が出てきます。

   この二つは、白木や呉服店、と伊藤呉服店(松坂屋)の明治25年のものです。
これは明治37年の伊藤呉服店の年賀状です。大正に入ると、人物写真の年賀状が出始めました。

昭和15年は、皇紀2600年記念に沸いた年で、6枚セット2組の絵葉書年賀が売り出されました。
前年の昭和14年は、太平洋戦争が勃発した年です、この年賀状は南満州鉄道名古屋案内所のものですが、皇紀2600年と昇竜を併せ、戦争気運を盛り上げた、賀状が多く見られます。
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絵画あれこれ

2011-12-14 | Weblog
 (写真はクリックすると、拡大します。)

藤田さんの個展で譲渡頂いた、安曇野の風景画が私の書斎を飾ってくれました(中央)。私のパソコンの壁紙は、丁度この方向から撮った積雪風景の写真で、お気に入りの壁紙の一つです。



写真の絵画は、1980年代の初頭、私が香港駐在時に、若い画学生が九龍側のフェリー乗り場の路上で、4~5点の絵画を並べて販売していた中の一点で、妙に気に入り購入、価格は忘れましたが、こんにちまで40年も、私の目を楽しませてくれています。同じ頃ミラノの路上で、画学生が販売していたスケッチ画も、書斎の壁面で健在です。



写真の龍は、印刷品ですが、24年前の辰年のとき、生命保険会社から特別に贈られたカレンダーの中の一枚です。臥龍昇天から天上の龍まで、6シーンを描いたもので、あまりにも立派なものだったので、廃棄にしのびず、額縁に収め鑑賞しています。辰年を迎えるにあたり、3点架け替えました。最初の安曇野の風景画の上にある2点もそうですが、光線の乱反射で撮れていません。
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