miyabuの雑記帳

ボケ老人の無責任なお話

笠置山1128m

2009-08-30 | Weblog
笠置山に入るには、恵那I/Cで高速を離れ県道68号で笠置橋を渡って、直ぐ斜め上に向かう林道入り口を入れば簡単なのですが、いつもこの辺りで、道を取り違え、ぐるぐる回って、今回も県道72号から林道に入りました。写真の登山口駐車場に車を止め入山。

ヒノキ林の中を20分ほど歩くと、国の天然記念物に指定されている、ヒトツバタゴの大木に出会います。
階段状に整備された道は、私の好みではないのですが、辛抱強く高度をあげていくと、2つ目の林道に突き当たります、それを横切り同じような階段道をさらに高度を上げていきますと、最後の水場に出会います、9合目の標識があります。

山頂は平坦地で、石の大きな鳥居があり、奥に立派な笠置神社が鎮座しています。
神社右手下には大岩群があり、ヒカリゴケが緑の蛍光を放っています。山頂からの展望はありません。

笠置山の林道は、山頂近くの物見台まで続いています。道は完全補装されていて車輌の通行は自由です。物見台からは素晴らしい展望です。ここから平坦な尾根を400mほど歩くと、山頂神社に着きますので、車で小さな子供達が沢山遊びに来ています。

私達は、この林道の名所を訪ねながら、歩いて駐車場まで帰る事にしたのですが、どこで道を間違えたのか、とんでもない方向に来ているのに気づき、通りがかりの車に運転担当の2名が便乗、駐車場まで連れて行ってもらい、事なきを得た。

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オリエント急行

2009-08-26 | Weblog
オリエント急行が、今年の12月12日で126年の歴史に幕を下ろすようです。ロンドンーイスタンブールを結ぶ豪華な寝台車は、青春時代の私の血を沸きたてたものでした。

アガサ・クリスティの推理小説の題材にもなり、ヒッチコック監督の「バルカン超特急」はオリエント急行をモデルに、第2次大戦直前の数々の陰謀を映画化したもので、私達の年代には馴染みの深いものでした。

25年ほど前、パリでその車体に接し、「ORIENT EXPRSS」のプレートに感動したことがあります。実は20年ほど前に、日本でもオリエント急行が走りました。フジテレビ開局30周年、JRグループ発足一周年記念事業として、JR東日本主導で各国政府、鉄道関係者の協力で、NIOEの車輌で、パリー東京間が運行されました。

そのきっかけは、1982年フジテレビが放映した「夢のオリエント急行、ロンドンーイスタンブール華麗なる3500キロの旅」のプロヂューサー沼田さんの熱い想いがあったようです。
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世界陸上女子マラソン

2009-08-23 | Weblog
世界陸上ベルリン大会女子マラソンを先ほどまで、手に汗を握って観戦していました。日本の尾崎、中国の周、エチオピアの?、の3人が35キロ地点からのデッドヒート、40キロ地点でエチオピアが遅れ始め、尾崎が先頭をキープ、41キロ過ぎに周がスパート、尾崎も直ぐに後についての金メダル争いは、久々に興奮した競技でした。

尾崎は銀メダルになったが、満足できる競技だったので、残念と思うよりも、よくやったという気持ちの方が強い。セカンド・ウイング?とかのスポーツクラブからでてきた、加納さん7位入賞は立派でした、30キロから35キロ間で17分代から16分代に一挙にスピードが上がり、3人に絞られた時、先頭集団から離れたがそれまでは、尾崎にびったりついて、いい走りをしていた。
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石川裕彫刻展

2009-08-20 | Weblog
江南短期大学教授石川裕先生から案内状を頂いていたので、今日は早朝から妻を伴って、飛騨古川の「飛騨市美術館」に行ってきました。飛騨市美術館の企画展に、石川先生の木彫30点と、芳子先生(奥さん)のステンドグラス作品12点、長女容子さんのニューアート8点(当人はミクストメディアと呼称)、長男智也さんの写真29点が展示されていました。

裕先生と、芳子先生は既にその業界では、著名人ですから、今更感動することも無いのですが、容子さんに関しては、2年前に親子3人展で初めて作品を拝見し、何かいいものを持っているのを感じましたが、今回の作品を拝見して一つの世界ができつつある感動を受けました。

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政党と官僚

2009-08-17 | Weblog
明治政府は、国際社会の遅れを取り戻し、国を委ねることのできる優秀な官僚を育てることを目的に東京大学を設立した。そして、目的通り世界に冠たる日本の官僚組織が出来上がった。

官財一体の護衛船団で、経済が成長し、世界の先進国仲間に入った頃から、政府自民党は、官僚依存にますます傾き、官僚の思うがままの政治形態を作ってしまった、官僚に利権の匂いをかがされた族議員が、それを助成した。

急激な経済成長は、拝金主義思想になって日本人を浸食し、東京大学に進学する学生も、熱い情熱はなく、わが身の出世、保身だけで国家の重い部署に就くようになった。優秀な頭脳を持った集団が、わが身の出世、保身を念頭に予算獲得に走ればどうなるか、膨大に膨らみ続ける国家予算がそれです。

民主党が政権をとれば、官僚との対決姿勢をとるようなことを言っていますが、対決姿勢では、必ず負けるでしょう、民主党の施政方針が成功するか、失敗するかは官僚の協力体制にあります、優秀な頭脳を党の方針に上手く取り込むよう、努力してください。
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敗戦記念日と思い出

2009-08-15 | Weblog
敗戦日から64年が過ぎました。大阪から高知県に疎開して4年目の今日でした。
国民学校5年生の夏休みでした。朝から近くの伊与喜川に食料の手長えびを捕りに入っていました。身体が冷えたので、堤防の石垣に這い上がり、身体を温めてウトウトしていた時、近くで爆音を聞き反射的に逃げの体制で確認すると、日の丸のついた飛行機です。最近日本の飛行機など見たことがありません。3回ほど上空を旋回した後、見えなくなりました。不思議に思いながら、昼も近いようなので、家路に着くと街の様子が尋常ではないのです。

大人たちの間に、いろいろな噂が流れました。若い女は性の対象として、若い男は奴隷として等と言ったことです。3日ほど過ぎると進駐軍がきました。銃を肩から提げて、3~4人で家々を調べて歩くのです。戦争映画ではおなじみのシーンですが、それを見るたびに、かってのその日を思い出して、嫌になります。
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