miyabuの雑記帳

ボケ老人の無責任なお話

日本の歴史と江南市の生駒屋敷

2018-07-19 | Weblog
日本博学倶楽部の「歴史の決定的瞬間=PHP研究所発行」に信長と生駒屋敷が記載されています(愛知県江南市の生駒屋敷が岐阜県江南市となっているのが博学クラブの名に相応しくないミス)吉乃は美濃郡村の豪族だった生駒氏の娘で、夫に死別して実家に戻って間もなく信長に見初められ生駒御前と呼ばれるようになる。


江南市の郷土史研究家が触れていない生駒屋敷について、上記書籍は木下藤吉郎と蜂須賀小六にも触れています、藤吉郎は武士を目指して放浪の末生駒屋敷に奉公するようになった、吉乃をこよなく愛し生駒屋敷に通い続けていた信長と藤吉郎の縁が、ここに生れ信長の小者として仕えることになる、蜂須賀小六は生駒氏の長男と親交があり、よく生駒屋敷に出入りしていた、藤吉郎は蜂須賀氏に仕えていた時期もあったのではないか、その関係で生駒屋敷への奉公が出来たと思われる。


こうして見てくると、吉乃と生駒屋敷が戦国時代を終結し、信長ー秀吉ー徳川へと武家社会を中心とした日本の安定期を築き上げた発祥地であることが解ります、先日、江南市の歴史講演会がありました、講師は北川宥智氏(高野山真言宗 臥竜山 修学院 高家寺住職 徳川宗春顕彰会専務理事)主題は尾張徳川家でしたが、日本史にとって生駒屋敷は重要な存在であると強調していました。