江南市のサマーフェスティバル事業の一つに、東洋大学大野名誉教授の「女たちの江戸時代-お江と春日局-」と題した講義があったので聴講してきました。東洋大学の講師派遣事業は、創設者井上円了氏以来の伝統事業だそうです。豊臣家没落と徳川幕府創設時代については、多少の知識があったので「お福」が秀忠の側女になったあたりの話が聞けたら面白いと思い出かけました。
当時のお福は、稲葉正成の妻で4人の子供がいましたが、離婚して江戸城に入りました。江戸城には家康の相談相手を務めていた天海僧侶がいました、この人の前歴は不明で、明智光秀説のあるひとです。お福は明智光秀の姪です。妊娠しやすい体質のお福を家康に薦めたのは、天海和尚だと私は思っています。講義の中で、家光はお福の子ではないかと触れていましたが、お福入内の経緯にはには触れませんでした。春日の局の号を下賜され天皇に拝謁、天盃を賜るなど、公家衆では稀代の儀と批判されたが、光秀縁の女性としては辻褄の合うことす。(本欄2010/02/17明智光秀と天海説)
当時のお福は、稲葉正成の妻で4人の子供がいましたが、離婚して江戸城に入りました。江戸城には家康の相談相手を務めていた天海僧侶がいました、この人の前歴は不明で、明智光秀説のあるひとです。お福は明智光秀の姪です。妊娠しやすい体質のお福を家康に薦めたのは、天海和尚だと私は思っています。講義の中で、家光はお福の子ではないかと触れていましたが、お福入内の経緯にはには触れませんでした。春日の局の号を下賜され天皇に拝謁、天盃を賜るなど、公家衆では稀代の儀と批判されたが、光秀縁の女性としては辻褄の合うことす。(本欄2010/02/17明智光秀と天海説)