生活と人生(その1)

 夜、家内の高校時代の友人から電話があった。かなり深刻な問題のようで、2時間近く話していた。
 家内と同級生ということは、私とも同い年である。家内から、相談を概要を聞いて思うことがあった。
 拙著のどれかでもご紹介したが、ここであらためて、遠藤周作(こりあん先生)の「死について考える」(光文社)から、生活と人生についての記述を二回に分けてご紹介したいと思う。

遠藤周作著『死について考える』(光文社)より

人は生活から人生の次元にいつの間にか滑り込んでいくことがありますね。
 私は生活必ずしも人生ではない、と考えています。生活は私の考えでは自分の心の奥底にあるもの、自分の人生の核になっているものを無視、軽視していかなければ成立しないものです。生活は道徳、世間体、外づらを大事にしないと運びませんし、自分の心の奥底にかくしているものを露骨に見せるわけにはいきません。
 世間を乱さぬため、他人に悪口をいわれぬためには、我々は心の中におさえこんでおかねばならぬものがたくさんあります。そういう形で成立しているのが生活です。
 しかし、病気になり、あるいは孤独な老年になりますと、否でも応でも「本当の自分」と「死」との二つに体面せねばならないでしょう。……そういう意味で、病気や老年は人間にとって神さまが「自分の素顔をみてごらん」とおっしゃって鏡をわたしてくださったのだというような気がしてきてしまいます。(112頁)
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