生活と人生(その1)

 夜、家内の高校時代の友人から電話があった。かなり深刻な問題のようで、2時間近く話していた。
 家内と同級生ということは、私とも同い年である。家内から、相談を概要を聞いて思うことがあった。
 拙著のどれかでもご紹介したが、ここであらためて、遠藤周作(こりあん先生)の「死について考える」(光文社)から、生活と人生についての記述を二回に分けてご紹介したいと思う。

遠藤周作著『死について考える』(光文社)より

人は生活から人生の次元にいつの間にか滑り込んでいくことがありますね。
 私は生活必ずしも人生ではない、と考えています。生活は私の考えでは自分の心の奥底にあるもの、自分の人生の核になっているものを無視、軽視していかなければ成立しないものです。生活は道徳、世間体、外づらを大事にしないと運びませんし、自分の心の奥底にかくしているものを露骨に見せるわけにはいきません。
 世間を乱さぬため、他人に悪口をいわれぬためには、我々は心の中におさえこんでおかねばならぬものがたくさんあります。そういう形で成立しているのが生活です。
 しかし、病気になり、あるいは孤独な老年になりますと、否でも応でも「本当の自分」と「死」との二つに体面せねばならないでしょう。……そういう意味で、病気や老年は人間にとって神さまが「自分の素顔をみてごらん」とおっしゃって鏡をわたしてくださったのだというような気がしてきてしまいます。(112頁)
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コメント
 
 
 
ありがとうございました (プラケア)
2010-11-29 10:10:51
和尚さん
早速にカミングアウトした同級生に普段どおりの付き合いをする勇気を貰いました。
個人的には、普通が一番と思ってますが、心の奥になんか身構えている自分があって、扱い方、言い方を間違えるなよと思っていましたが、『その後、体調はどう?』て声掛けができます。
ありがとうございました。
ココへお邪魔させてもらってて良かったと思います。
 
 
 
同事(どうじ) (和尚 )
2010-11-29 13:40:08
プラケアさん>仏教では「同事(どうじ)」という考え方なんです。「自分がそうだったらどうする」ってことです。もちろん相手によって異なりますから、「この人もたぶんそうだろうな」と画一的に押し進められることではありませんが、気心のしれたお友達であれば「自分があいつの立場だったらどうするだろうな」と、より具体的に自分の立場と相手の立場を同調させやすいですよね。いくらかお役にたてて何よりです。
 ちなみに檀家さんの場合には「大丈夫。いざという時にはしっかり拝むから、その心配はしないで、しっかり生きてください」とも申し上げます。 
 
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