懸けて一操(いっそう)、持って二操(にそう)、

今日は明日から四国遍路に行かれるという5人の方々に、ご詠歌のお稽古。

その中で、108個の珠がある念珠の扱いについてお尋ねがあった。

にゃるほど、そういうことはご存じないだろうと思う。

擦る時は、両側の房は両手の甲側(つまり外側)に垂らす。念珠を擦るのは、108の煩悩をすりつぶした、綺麗な心でお願いするという意味である。

では擦らない時はどうするかというと・・・

真言宗では、腕に懸ける時は一操(いっそう)。そのままで懸ける。
手で持つ時は、人指し指にひっかけて二操(にそう)。二重になるということだ。両端の房は手の中に入る。ジャンケンのグーをした時と形は同じである。念珠は人指し指の外側と、手の中から垂れた部分だけということになる。
写真は置いてあるが、これが手で持つ時の二操である(房は180度折れた状態になる)。
そして、置く時には三操にする。房は両方ともワッカになった念珠の上に載せる。

〔わからない方はコメントするがよろしい。明日から写真でアップの用意有り。あははは〕

しかるに、
懸けて一操、持って二操、置いて三操--という具合で覚える。

 ああ、ちなみに「操」という字は違っているかもしれませんが、ワッカにするというほどの意味です。ワッカりましたか?無責任で申し訳ありません。うはははは。
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