大阪鋼巴球迷的博客(だあばんがんばあちうみいだぼーくぉ)

熱烈なるガンバ大阪サポの筆者が、世界で最も多くサッカーファン人口を持つ中国にガンバの名前を広めんと日中二ヶ国語で発信する

岡田ジャパンが異端にならざるを得ない理由

2010-02-02 07:17:41 | Weblog
今月の代表戦の前に押さえておきたいポイントは、何故岡田監督は今のようなサッカーを選択したのか、ということだ。一国の代表の監督の戦術や采配は、Jリーグのクラブのサポから普段サッカーを見ないけど代表の試合は観るというライト層、Jは見ないけど代表なら見てやるか、という欧州サッカーファンといった人たちの論評の対象にはなり、そして見た人の数だけの見方が存在する。そうした見方の中にはとても参考になる意見というのも存在する。

自分があえてここで書いておこうと思ったのは、岡田監督の頭の中にあるものを自分なりに考えて消化したものを書き留めておきたかったからだ。

今の日本代表が意識しているのは、サッカーの日本化を先鋭化させたものだと言われているが、そうしたスタイルを岡田監督が選択した理由は何かというと、

1・世界レベルでは日本はまずポゼッションはとれない
2・かといって、単純な堅守速攻においても、少ないチャンスをモノに出来る、世界的レベルの強力なFWが存在しない

要するに今の日本ではないないづくしの状態であるが故に強調されているキーワードが「数的優位」というもので、ドイツ以降日本サッカーの日本化がしきりに言われていたのは、こうした前提の中で如何にして立ち向かい、W杯での強豪相手に勝ち点を奪う為には、攻守において数的優位を確保するというもの。

当然、こうしたサッカーを選択したら、専門誌などにおけるスペイン・イタリアのコーチやジャーナリストから見たら、何だこれは、ということになるわけです。選手同士の距離が詰まり過ぎるとか、ポジションの均整が取れていないからプレスのかけ方がバラバラだとか、サイドバックが上がり過ぎて後ろが危ないとか、なりふり構わず前からいくんでピンチを招きやすい、90分持たない、といった意見が大体であるけども、岡田監督に言わせればそういう批評というのは既にもう解りきったものだろう。だって、この人の理想はバルサだと久保田光彦氏がジョアン・サルバンスへのインタビューの際に言っていたらしいけども、今の現状ではバルサどころか欧州で主流になっている戦術とはずいぶんかけ離れている。

もちろんやらない理由は、今の日本の力量を冷静に見極めているからだろうが、それだけでなく、根本的に日本の選手には、キックの強度とか、30メートル離れた相手に出すフィードの精度とかいう基礎的な技術において見劣りするという判断がある。したがって、選手同士の距離が割と近いのも、そうした基礎技術の差というのがあるからだろうなあ、と筆者は思ったりもしている(これはガンバにも言えることだが)。だからバルサ流に選手がピッチにおいて均等に距離を取るというスタイルが出来ない。

ただ、今の岡田ジャパンのサッカーって現状に即したといっても、小手先感が否めないわけですね。世界のトレンドから大きくかけ離れているという点において。その意味で今注目しているのは、育成世代において欧州留学組のコーチが指導の現場についたりして、欧州本流のサッカーを育成世代から叩き込んでいるということで、その中で指導を受けた選手たちがどのように進化していくかが楽しみですね。まあ、もっとも欧州流の指導というのは個々の選手の基礎技術を前提としているわけで、今の日本には、マリーニョ氏が監修をしているブラジルの練習の中で日本人向けの練習に書いてあったような、クロスを上げる練習とかいうのもまだまだ必要なわけで、マリーニョに言わせればそういう基本技術が意外と出来ていないということなんでしょ。サッカー一流国との差ってその当たり前の部分ができているかどうかという差ではあるのだから。

実はJFAにおいて長らく世界のサッカーの潮流というのが見極めて来られなかったために代表監督の人選も行き当たりばったりだったけども、幸い今これがわかっておられる人物が要職についておられる。それは誰かと言うと、犬飼-原のラインであるわけです。次期代表監督がスペイン人という噂が報じられているけども、南アフリカ以降、世界の主流にあわせていく方向にシフトするのかな、という気はする。

ただ、それだと最初の段階で強豪国との対戦では、これまで以上に基礎技術の差というのをいやと言うほど見せつけられるかもしれないけど、それはそれで何が足りないかがわかるからいいんじゃないでしょうか。その時になって初めて、日本化にはそれなりの意味があったということで見直すこともできるだろうし。

だからまあ、今年のW杯で日本化したサッカー、世界では異端ではあるのだけども、それを一度ぶつけてみて、そこから徐々に世界の主流にシフトしていく方向に考えていこうという風に流れていきそうな気がするけども。個人的にはそうした流れってまだ早いから、育成世代においては主流でいいけど、代表においては結果の為にはあえて世界の主流から外れたサッカーで行くという選択もあったとは思うけどもね。

ただ、そうした傍流のサッカーをなんでやらないといけないかというと、結局結果を出せなかったら代表の人気がサッカー人気に直結する部分が大きいからという理由しか見当たらない気がする。そして、それが世界のトレンドとは如何に離れていようとも、いやそうであるが故に、皆そうしたことをあえて言わないようにしているのかもしれない。なぜって、そういう種明かしをしてしまったら、一体どれだけの人が代表の試合にお金を払って見ようとするだろうか?