大阪鋼巴球迷的博客(だあばんがんばあちうみいだぼーくぉ)

熱烈なるガンバ大阪サポの筆者が、世界で最も多くサッカーファン人口を持つ中国にガンバの名前を広めんと日中二ヶ国語で発信する

大分に必要なのは、同情ではなく共感の連帯である

2009-12-22 00:43:36 | サッカー全般
どうも大分の再建計画が難航している、というより当事者らは完全にサジを投げているかのように思える。JリーグだってJ1での残り試合開催の為に必要な資金は出せても追加支援はしようとしていない。そうした状況を踏まえてこれから話を進めて行きます。こういう時にサポーターがかわいそうだとか同情の言葉を掛けるにも掛けにくいし、当の酉サポだってそうした言葉すら求めていないだろうね。

そもそも同情という感情は決して相手と同じ立場に立っているわけではなく、相手の境遇に哀れに思うこと自体が、自分の方が相手よりも上の立場にい居ることを確認するようなものでしかない。従って、大分に最悪の事態が訪れた場合において、その手の言葉ってあちこちから出てくるかもしれないけども、それらはすべて、大分に比べて自分らの応援するのクラブは潰れてないという前提があるわけだし。

ではトリサポに対してどういう感情を抱くかと言えば、同情よりはむしろ共感という類のものかもしれない。今となっては風前の灯のような状態になりながらもなおかつクラブの存続を信じて募金したり、シーパスを買ってくださいと呼びかけたりする人たちが居ることを聞くと、自分だって愛するクラブを守る為だったらどんなことでもするだろうし、ひょっとしたら自分ならもっと早くから積極的に動いていたりするだろうな、と思ったりもする。

つまり、同情って結局あくまでも他者の立場で抱く感情であるのに対し、共感はその人たちの立場を自分自身に重ねあわせて考えるという風に理解するとすれば、今の大分に必要なのは同情ではなくてむしろ共感の連帯ではないだろうか?それは何も大分の為にカネを落とせとか言う意味ではなく、彼らが今後避けては通れないイバラの道を歩む時に必要としているのは他者からの同情ではなく、道中の精神的支えとなる為の共感を、クラブを超えて同じサッカーを愛する者として彼らと共有し合うことじゃないかと思ったりもする。

残念ながら自分とて一介のガンバサポのブロガーでしかないからあんまり大分の力にはなれないかもしれない。というか、こうやってブログに書くことぐらいしか出来ない。けれどもブロガーである以上ブログに書くのもまた仕事であるから、こうやって書くことが、ガンバについで深く関わって来たチームに対しての、自分なりの責任の取り方だとは思っているわけです。

倒産から復活した例として挙げられるのはフィオレンティーナか。あの時はルイ・コスタをミランに売ったように、大分も精算する為に選手を切り売りせざるを得ない状況かもしれない。彼らのように同じステージに数年で戻れるという保証はない。トリニータという名前での存続が可能かは分からない。けれども、そこに情熱がある限りにおいては何度でもはい上がって来れるよ、きっと。