ねむたいむ

演劇・朗読 ゆるやかで懐かしい時間 

別役実の「部屋」

2012-07-07 | Weblog
20年ほど前、戯曲を書き始めたころに好きだったのが、寺山修司と別役実だった。

当時書いていた現代詩が縁で音楽業界の人と知り合い、その紹介で作詞の仕事を始めて、ミュージカルのなかの歌も書き、その稽古に行った劇団の稽古場で文化庁の戯曲賞のことを知り、戯曲ってなんだと思いつつ作品を書いて応募してみたら賞をいただき、と、なし崩し的に私は演劇の世界に足を突っこんだ。
芝居のことは何も知らず、古典的な戯曲はさっぱりわからず、野田秀樹もつかこうへいも面白くなかった。でも寺山と別役は現代詩の延長線上で理解できた。

このしたやみ公演・別役実作品「部屋」を西陣ファクトリーで観た。

別役の世界は不条理で、観る人を煙に巻き、言葉のわざで現実を変えてしまう。
人間関係は食い違うやり取りの中でいつのまにかねじれてしまい、これって何が真実?と考えてしまうのだ。

人それぞれの記憶や思い出は、それぞれの心の中で都合のいいように形を変えていく。
受け入れることのできない現実があったとすると、人はそれを受け入れるために事実を脚色をして、なんとか自分の心の形にあわせようとする。そしてそれをいつのまにか自分のなかの真実として置き換えている。「物語の勝利」。私は自分が書く時いつもそのことを考える。残しておきたい大切なことは、物語のなかにこそある。

時間と時間の境目、現実と虚構の境目を、やすやすと超えてしまえる物語が私は好きだし、そういうものを書きたいといつも思う。

このしたやみの「部屋」は、とてもよかった。
広田さんは壊れそうでいて堂々ともしている。抑えた演技と表情が美しい。最後のシーンは泣けてしまった。二口さんは飄々としていてそれでいてあたふたとしている。おかしくもあり哀くもある。

こういう小さな空間で、素敵な役者さんが演じる静かなお芝居を観るのが、本当に私は好きだ。
古い建物の匂いも、途中で降りだした雨の音も、「部屋」の雰囲気を彩っていた。
久しぶりに別役作品を観て、いろいろなことを思い、自分ももっと物語を書きたいな、書かなければと思った。


雨といえば、春に裸ん坊だった木が、このところの雨の恩恵をうけてたくさん葉っぱを付けた。
もっともっと元気になあれ。