ねむたいむ

演劇・朗読 ゆるやかで懐かしい時間 

東寺の市に行く

2005-10-27 | Weblog
久しぶりに弘法市に行ってきた。毎月21日にあるのだけど、都合が悪かったり、体調が悪かったり、寒かったり、暑かったり、忘れていたりで、ほぼ一年ぶりだ。
市はお祭り気分でうきうきする。お線香の香りとおでんの匂いがごちゃごちゃになって迎えてくれる。
子供の頃から古い布に興味があった。自分用に作ってもらったピンクの花模様の晴れ着よりも、行李のなかにあったおばあちゃんやひいおばあちゃんの着物や襦袢の、渋い色合いやくたくたさが好きで、ひっぱりだして、ひきずるように着てみたりした。特に好きだったのは、薄紅い木綿の風呂敷だ。洗濯を繰り返して薄く褪せた色がとてもきれいで、勉強机の上に、テーブルクロスのようにひろげたりしていた。
古いものはやさしいと思う。触れた手にも、思い出す心にも。そういうやさしいものが市には溢れている気がする。積み上げられた古い着物にいくら触っても叱られない。押しつけられもしない。歩きつかれたら屋台の前に座ってたこ焼きを食べる。
今回買ったのは古い着物のはぎれを2枚。それと干したいちじく。桝に2杯500円を山盛りにしてくれて、もう1杯おまけまでしてくれた。また来月も行こうと思う。

モジリアーニの少女

2005-10-05 | Weblog
秋になるとなぜかモジリアーニの絵が気になる。すべてを円で包み込むような曲線の人物画。
中でも私が好きなのが「ポーレット・ジュールダンの肖像」だ。
この絵はいくつもの楕円で構成されている。椅子に静かに腰をかけている少女の顔、目、なだらかな肩のラインから組み合わされた手の先までの形。背景のゆがんだドアと壁の腰板を結ぶと、それも、楕円の一部になっている。そして、絵を抜け出して完成するその楕円のなかに、見ている自分が内包されていることに気がつく。絵に抱かれるということ。そのことが、理屈ではなく、私を癒していく。
エコール・ド・パリのこの画家の絵には心があると思う。モジリアーニの肖像画の、瞳のないまなざしの向こうにあるものは、心のなかの情景だ。
私自身は、ことばで表現することしかできない。でも、モジリアーニの絵は、どのことばよりも深く静かに、私の心に語りかけてくるような気がする。