ねむたいむ

演劇・朗読 ゆるやかで懐かしい時間 

ひめごと

2008-10-09 | Weblog
私の書いた「ひめごと」という本を、12月に東京の劇団大樹が上演する。主宰する川野誠一さんは俳優さんだが、自分のほれ込んだ作品を自分の好きな形で上演したくて劇団大樹を作ったという。これまでも「ポプコーンの降る街」「微熱の箱」を上演してくださっている。
川野さんの行動力にはいつも驚く。日々の俳優業をこなしながらその合間に寝る時間も惜しんで公演のチラシやポスターを手に歩く。公演のためになると思えば、どんな努力も惜しまない。とても熱い人だ。それでいて少しも押し付けがましいところはない。あくまでも謙虚で誠実。川野さんのような人を、私は他に知らない。
「森陰アパートメント」や「甘やかな十字架」の時には、東京からわざわざ脚を運んでくださった。

「ひめごと」は父親探しの物語だ。母と娘のおだやかな二人暮らしが、突然訪れる青年によって破られる。暴かれていく過去。それは事実なのか事実でないのか。物語の最後はあいまいなまま終わる。本当のことは誰にもわからない。
でも、本当のことってなんだろうといつも思う。ずっとわからないまま一生を送り、わからないなりに、そのつど自分なりの答えを出していくのだろう。
私はこの物語を書きながら、離別した父のことや、母のこと、若くして自殺した母の兄のことを、考たりしていた。

劇団大樹 第9回本公演「ひめごと」は、12月10日(水)~14日(日)。
西武池袋線東長崎駅すぐのてあとるらぽうで。詳細は劇団大樹HPをご覧下さい。





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結婚式というものは…

2008-10-01 | Weblog
だいたい私は式と名前のつくものは苦手だ。成人式も卒業式も結婚式もパスしてきた(あ、授賞式には行ったっけ。結構いいかげんだ)。私に関してはあとは葬式だけのような気がする。そういえば、お葬式の夢をみたことがある。誰かが亡くなっていて、枕元でお坊さんがお経をあげている。周囲に人が集まっていて、泣いて人もいるし、話している人たちもいる。それは天井のあたりからの俯瞰図で、カメラのように、一人ひとりの表情が映し出されていく。笑っている人がいる。知っている人だ。泣いている人も知っている人だ。亡くなっている人の顔が映し出されたとたん、びっくりした。あれ、私じゃないの。お坊さんは、好きだった人だ。好きな人にお経をあげてもらえてよかったねと、俯瞰しているもうひとりの私が思っている。
葬式の話はさておき、先日はりゃんめんの南出とえびちゃんの結婚式だった。結婚式の花婿というものはだいたいが間抜けにみえる。まあ、私以外の女にうつつを抜かしている男は、私にはみんな間抜けにみえるんだけど。
でもえびちゃんはとてもきれいで幸せそうだったし、お料理もおいしかったし、南出がきたない字で書いていた「僕が芝居を書き出したことも作風もみ群さんの影響です」なんてメッセージには、ほんとか?と思いながらもちょっとうれしかった。私みたいないいかげんな人間でも、誰かに影響を与えることもあるんだなあ。
二人で刀を入れていたケーキには、南出の誓いの言葉が、きたない字で書かれてあった(きたない字なんて、二回も書いてしまった。あ、三回か)。

南出さん、えびちゃん、どうか末永くお幸せに。そして私が天涯孤独の身になったら、めんどう見てくださいませ。
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