ねむたいむ

演劇・朗読 ゆるやかで懐かしい時間 

改稿する、あるいは推敲する

2019-06-08 | Weblog
来年4月22日から上演される「半月カフェの出来事」の改稿もようやく最終段階だ。
ずいぶん早いみたいだけど、劇団大樹さんで上演する脚本はいつもこのぐらい早くから仕上げにかかる。
なので、役者さんもすべて決まって稽古に入る頃には、私自身は何を書いたか忘れていたりする。

とにもかくにも今は書き直しては川野さんの意見を聞き、自分の考えとすり合わせつつまた書き直すという作業を繰り返している。私の作品を10年以上に渡って何作もプロデュースしてくれている川野さんの意見は的確で、本当に参考になる。

私の書き直しは、打ち出した原稿にランダムに鉛筆書きで書き込みをしていくことからはじまる。
書き直しは苦痛だ。というか、楽しくない。いったん世界を作った後で、他の世界を提案されてもなかなか頭が切り替えられない。
納得できないところは押し通すしかないのだけど、でもアドバイスを受けてなるほどと思うことも多いのだ。偏った考え方を自覚出来るし、いいアドバイスには新しいイメージもわいてくる。
でも納得できないことを言われるままに書き直していくと、自分が思ってもいない作品になってしまったりもする。難しい。

私は、作詞の仕事をしていた時に組んだ佐野さんという作曲家を思い出す。
佐野さんのアドバイスは想像力を刺激して、新しいフレーズが次々と生まれた。二人で50曲ぐらいは作ったかもしれない。書くことに対しての共同作業というものを、私はあの時初めて知ったと思う。
曲の構造にあてて詞を入れ込むという作業は、言葉を厳選せざるをえない。
それまで自分勝手に書いていた自由詩とちがって、制限のある作詞の仕事は、物語構成のいい勉強にもなった。

佐野さんと作った歌が、NHKのみんなの歌で放送されたこともあった。
音源も持ってないし、もう聴くこともないだろうなと思っていたら、亡くなった母の部屋から、美空ひばりや五代夏子と一緒に、NHKの「みんなの歌」を集めたカセットテープが出てきた。
曲名を見ていくと、私が佐野さんと作った「恋の花咲いた」が入っていた。母はこんなものをいつ買ったのだろうか。聴いてみようと思いつつ、まだ聴いていない。
このカセットテープがあるせいで、断捨離熱が高まる中、私は嵩張る古いカセットデッキを捨てられないでいるのだ。

ちなみに、「推敲」というのは、愛用の新明解によると、
「僧は推す月下の門」という句について、「推」がいいか「敲」がいいかを、何度も練り直したという故事に基づき、文章の字句を何度も練り直すことを言う、という意味だそうだ。

今のところ、私の作品は単なる改稿で、まだまだ推敲の域には達していない。

















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