ねむたいむ

演劇・朗読 ゆるやかで懐かしい時間 

文字の誘惑

2008-07-24 | Weblog
来年の「星みずく」第二回公演の構想が私のなかで動きはじめた。今度はおもいっきり遊びたい。遊びが自己満足に終わらないように、観に来てくださる方たちに楽しんでもらえる作品にしたい。
頭の中に、ひとつの町が出現する。淫らで不道徳な童話の町だ。不眠症の猫や兎の小間使いや両性具有の歌手や自動人形のギター弾きが、形になって現れはじめる。町の名前や人の名前、台詞、シーンの断片をメモしていく。そうそう衣装も大事だ。次回は衣装やメイクに凝ろう。
そして今度も芝居ではなく朗読という形にしたい。文字になった作品を読むという形でしか、私には演じることが出来ないと思う。
私は耳の機能がほんとうに不出来だ。耳に通じる脳の機能というべきかもしれないけど。耳から聞いたイメージを理解することが難しいのだ。学校の授業も苦手だった。授業は、家で教科書を読みなおして、やっと理解できた。本当は朗読もラジオドラマも聞くのは苦手なのだ。
ラジオドラマを書いていて、耳からだけのイメージのほうが世界が広がるという声を聞く。それは書く立場の人間としてとてもうれしいことだ。ただ、私自身はというと、文字を見たほうがイメージしやすい。だから私は演出家にも役者にもなれないのだ。
作品の全体像がみえてくると、自分の本棚から資料になりそうな本を探す。
探すうちに、なつかしい本を見つけて読みふけってしまう。本棚は魔境だ。
私の家のリビングは壁中が本棚になっている。読まなくなった本は、物置に。家中のカゴや棚も本だらけだ。床にも溢れてきて片付かない。
白い壁のすっきりした部屋に憧れるけど、本棚のない部屋は、きっと落ち着かないだろうな。
(とうとう画像がさかさまになってしまいました。写真をまっすぐに載せる方法を、誰か教えてください)


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ノアさんのこと

2008-07-01 | Weblog
以前「森陰アパートメント」に役者兼オカリナ奏者として出演してくれたノアさんは、kathakaliというロックバンドのボーカルをしている。そのライブを一度観てみたいとずっと思っていて、先日、それがやっと実現した。
会場は大音響で、ロックに慣れていない私は死ぬかと思ったけど、舞台のノアさんは、とても不思議で魅力的だった。
素顔のノアさんもエレガントな美青年だけど、舞台のノアさんは、それに加えて毒や凄味もあって、しなやかなベリーダンス風の踊りもささやくような歌声も、なんだか現実ではないような感じで、その両性具有のような色気に、伝説のニジンスキーのバレエ(古い映像で見ただけだけど)や法隆寺の百済観音を初めて見た時のような感動を覚えた。大音響のなかで、ノアさんの周囲だけが静寂だった。うーん、掃き溜めに鶴だ(いえ、別にその会場が掃き溜めというわけではなく、現実という掃き溜めのなかに、一羽の鶴が舞い降りてきたという意味です)。
kathakaliのオリエンタルな雰囲気の衣装も素敵だったけど、ノアさんには、クノッフやクリムトやモローといった世紀末の絵のような雰囲気がある。
その吐息のような声で、歌うように、退廃的で淫らで美しい物語を、語ってもらいたいなあと思った。
(写真はノアさん。いつもブログに写真をアップするとななめになってしまいます。どうしたらいいのかわかりません)

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