ねむたいむ

演劇・朗読 ゆるやかで懐かしい時間 

秋の蝶

2005-11-30 | Weblog
嵯峨野に行ってきた。宝厳院、落柿舎と辿る。紅葉が美しかった。見上げれば青空をバックに赤黄朱のグラデーション。寺のそばを流れる小川にも無数の落ち葉。葉は重なり漂いながらひらひらと光の川を流れて行く。川底に影が写る。影は円い。いくつもの影がくっつきあって流れる様は、舞う蝶のようだ。
ふと、自分の心のなかにもこんな川があるような気がしてくる。落ち葉を運び、光を映し、何もかもを留めようもなく、ゆらゆらと流していく小さな川。
葉は秋に落ち、春に芽吹く。木は毎年新しい命を生みだしている。人の身体の細胞も、また生まれては死んでいく。落葉や芽吹きに自らの命を重ね、だからこその愛しさで、人は自然をみつめるのだろうか。
お寺のパンフレットの最後に「山水ニハ得失ナシ、得失ハ人ノ心ニアリ」とあった。
視界から人が消える。誰もいない。お堂にしんと座って、私はただ庭を見つめる。心の中を流れる紅葉を、ただ見つめる。

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透馬くんのこと

2005-11-01 | Weblog
透馬くんはぼろ市のはずれにある木の下で店を出している。店の名前は「うまの骨」という。どうしてうまの骨かと聞くと「俺の作るものなんて、うまの骨みたいなもんだからさ」という。
うまの骨で売っているものは、拾ってきた枝や石を組み合わせたオブジェだったり、古い着物や洋服を解いて作ったバッグや小物だったり、セーターを解いて編んだマフラーや帽子だったりするのだが、みんな透馬くんのオリジナルだ。透馬くんは古いものを再生させのがとても上手だ。
透馬くんは下町の古い長屋に住んでいる。育ての親のばあちゃんが亡くなってからは一人暮しだ。市のない日には家でもの作りをしている。年は30くらいだろうか。ハンサムだけど女の子には興味がない。筋金入りのホモセクシュアリストなのだ。透馬くん目当てでうまの骨に通ってくる女の子も多いのに、ちょっともったいない気がする。
透馬くんは笑顔がいい。心からの笑顔で笑う。時々、私の物語に登場する。次に書く物語にも登場の予定だ。お芝居にした時に、どの役者さんに演じてもらおうかと、誰彼の顔を思い浮かべては、ストーリーを考えている。
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