ねむたいむ

演劇・朗読 ゆるやかで懐かしい時間 

「ボロアパートもの」が好き

2019-05-03 | Weblog
子供の頃、家の二階は下宿屋だった。母親が古い家を改造して生活の糧にしていたのだ。
下宿人がいなくなると事務所に再改造してなにやら事業をはじめた。たくましい母だった。
下宿屋の住人たちと、私は結構仲良くしていた。覚えているだけでも、学生やバンドマンやいわくありげなカップルや洋裁師の親子がいた。パンドマンにはトランペットを見せてもらったし、洋裁師の女の人にはワンピースを作ってもらった。トランペットの音やミシンの音が下の部屋にいても聞こえていた。

家の隣もボロアパートでそこにもいろんな人が暮らしていた。
あるとき、小学校にものすごく美貌の転校生がやってきて、彼女とその母親が新居に決めたのが隣のボロアパートの屋根裏部屋だった。
私は彼女と仲良くなってその部屋に招かれたのだが、みごとになにもない部屋だった。でも彼女は「ここ、三階だよ」と、自慢げに語っていた。彼女は勉強なんかぜんぜんできなかったけど、いつも偉そうにしていた。まあ、偉そうには子供だった私の感想で、今になって思うと、凛としていた、媚びなかった、という表現になる。
すいこまれるような黒い大きな瞳の彼女を前にすると、クラスのわんぱく坊主たちはなぜかみんな無口になった。

そんなこんなの思い出のせいか、私はボロアパートが舞台の物語が好きだ。
贅沢貧乏(森茉莉)、霧笛荘夜話(浅田次郎)、つむじ風食堂の夜(吉田篤弘)、小暮荘物語(三浦しをん)などなど。なかでもシリーズ化されたれんげ荘シリーズ(群ようこ)は4冊とも読んでいる。
主人公のキョウコは過去には大企業のキャリアウーマンだったが、激務と消費生活に疲れ、お金を貯めるだけためて、45才で会社をやめて、れんげ荘というボロアパートで再出発する。貯金を切り崩して月10万円で暮らしていこう。いろんな問題点も出てくるが、そのつどゆるく乗り越えていく。お金なんてないならないなりの楽しみを見つけて暮らせるのだ。外猫が遊びに来る。もう恋人が来る以上の喜びだ。住人達とのほどほどの付き合い。ほどほどでありながら運命共同体として存在している。読むとほっとする。
今のマンションに住んで10年以上になるけど、隣も下も付き合いがない。誰が何人住んでいるのかもわからない。近所に誰も知り合いがいないと言うのはかなりさみしい。

なので、私は運命共同体のアパートやら下宿屋のお話を書いて、自分をなぐさめていたりする。
たとえば10年前に書いた「森蔭アパートメント」。
今度はその続編となる新作を書いた。タイトルは「半月カフェの出来事」。
森蔭の登場人物たちも何人か、また登場する。懐かしい。
来年の4月に、東京の劇団大樹さんとの共同プロデュースで上演することが決まっている。

そんなこんなも、少しづつ、紹介していきますね!